人生について、私はまだ探している

人生についてまだ答えを探している人が山の景色を眺めながら静かに考えているイメージ 人生、生きかた

人生についてまだ答えを探している人が山の景色を眺めながら静かに考えているイメージ

人生について考えるとき、私はときどきよく分からなくなることがあります。

世の中には、人生の成功法則や幸せになる生き方について語る本や言葉、そして最近では動画もたくさんあります。
こうすればうまくいく、こうすれば幸せになれる、思い通りの人生になる——そんな説明も数多く見かけます。

もちろん、その中には納得できるものもあります。
実際に参考になる考え方や方法も、たくさんあるのだと思います。

ただ、正直に言えば、私はまだ人生の答えを見つけたとは思っていません。

むしろ年齢を重ねるほどに、
人生とは何か、どんな生き方が本当に良い人生なのかということは、
そんなに簡単に言い切れるものではないのではないか、と思うことが増えてきました。

それでも私は、人生について考えることをやめたいとは思っていません。
むしろ、まだよく分からないからこそ、静かに考え続けていたいと思っています。

特にこの5年間、いろいろとハードな経験をしたからこそ、
どんな人生が最終的に「いい人生」と言えるのか、ということについて、
以前よりもずっと考えるようになりました。

今回は、そんな「まだ探している途中にいる人間」として、
いま私が感じていることを、少しだけ書いてみたいと思います。

人はなぜ人生の「答え」を求めてしまうのだろうか

人はなぜ、人生の答えを求めてしまうのでしょうか。

どうすれば幸せになれるのか。
どうすれば成功するのか。
どんな生き方が正しいのか。

そういう「答え」のようなものを、私たちはつい探してしまいます。

もしかするとそれは、人生というものが思っている以上に
不確かで、どこか不可解なものだからなのかもしれません。

努力すれば必ず報われるとは限らない。
誠実に生きていても、理不尽な出来事に出会うこともある。
逆に、不誠実に見える人がうまくいっているように見えることもあります。

そんな現実を目の前にすると、人はどこかで
「正しい生き方をする意味は何なのだろうか」
ということを知りたくなるのだと思います。

もし必ず幸せになれる正しい方法があるのなら、それを知りたい。
もし必ず成功する人生の攻略法のようなものがあるのなら、それを教えてほしい。

そう思うことは、きっととても自然なことなのだと思います。

実際、私自身もこれまでの人生の中で、何度もそう思ってきました。

本を読んだり、誰かの言葉に影響を受けたりしながら、
「こう生きれば、自分の思い描くような人生になるのかもしれない」
と思ったことも何度もあります。

気分を高揚させたり、徳を積んだり、
アファメーションをしたり、ビジュアライゼーションをしたり……。

けれど、そのたびに、どこかでまた分からなくなる瞬間がやってきます。

「これをやっているからといって、人生に対して直接何かをしているわけでもないのに、本当に何か良くなるのだろうか?」

人生とは何なのか。
本当に大切なことは何なのか。

そう考え始めると、また振り出しに戻ってしまうのです。

だから私は、最近こう思うようになりました。

もしかすると人生には、
誰にでも当てはまるような「答え」はないのではないか。

少なくとも私は、まだそれが完全に分かったとは言えないのだと思います。

それでも私は、人生には何か「本質」があるのではないかと思っている

ただ、そう思いながらも、私は完全に「人生には答えがない」とも思っていません。

誰かの人生の正解を、ほかの誰かが簡単に言い切ることはできないのかもしれない。
けれど、だからといって、人生が完全に無秩序で、それについて考えること自体に何の意味もないものだとも思えないのです。

うまく説明するのは難しいのですが、私はどこかで、人生も含めてすべてのことには何か「本質」のようなものがあるのではないか、と感じています。

それは、成功の方法とか、幸せになるためのテクニックのようなものとは、少し違うものです。

もっと静かなものというか、
もっと人間やさまざまな物事、現象のいちばん奥にあるものというか、
そういうものです。

それはどういうことかと言うと、私の場合で言えば、例えば、

自分を裏切らないこと。
誠実であろうとすること。
人に喜ばれることをすること。
人にやさしくすること。
徳を積むこと。

そういうことは、誰かに強制されるものではありません。
けれど、多くの人がどこかで大切だと感じているものではないかと思います。

たとえば私は、これまでの人生の中で「自分を裏切らずに生きる」ということを、とても大切なものとして考えてきました。
この考え方については、こちらの記事でももう少し詳しく書いています。

もちろん、そう生きていれば必ず報われる、とは言えません。
現実には、誠実な人が苦しむ場面もあります。

それでも私は、そういうものがまったく意味のないものだとは思えないのです。

少なくとも、このような生き方をしていれば、
死ぬときに納得できて、充実した人生だったと思えるのではないか、
そんなふうに感じています。

だから私はいま、こんなふうに考えています。

人生の本当の答えは、まだよく分からない。
けれど、完全に何もないわけでもないのではないか。

最近私は、人生というものは「勝つか負けるかの戦い」ではなく、
もしかすると「ゲームのようなもの」なのかもしれない、とも感じるようになりました。

この考えについては、こちらの記事でも書いています。

人生の中には、言葉にしきれないけれども、
何か大切なものが静かに流れているのではないか。

私はまだ、それをはっきりと言葉にすることはできません。
それでも、少なくとも自分自身が納得して生きていくためには、
何か大切なものがあるのではないかと感じながら、
これからも人生について考え続けていきたいと思っています。

私はまだ探している

つまり私は、これからも人生について、どのように生きていくのかを考えながら生きていくのだと思います。

そしてもう一つ、私が人生の中で大切にしたいと思っていることがあります。

それは、自分自身が充実して、納得して、満足して死ねるように生きることです。

ただ、それだけではなく、
できれば他の人が少しでも幸せな気持ちになってくれるようなこともしたいと思っています。

私はよく、
人の心に「幸せのひっかき傷」を残して死にたい、
そんなことを言っています。

大げさなことをする必要はありません。
小さなことでもいい。

誰かがふとしたときに、

「あの人の言葉、よかったな」

と思い出してくれるような、そんな小さな痕跡を残していけたらと思っています。

もし人生の最後に、

「いろいろあったけれど、いい人生だった」
「ああ、楽しかった」

と静かに思えるのだとしたら、
それはきっと、そんな小さな出来事の積み重ねなのだと思います。

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