今日と明日の2日にわたって、こうぷーぶろぐのサイト開設までの経緯を書こうと思います。
これからブログサイトを立ち上げようと思っている人の参考になれば幸いです。
今日はまず、Twitterを始めることになったところまで書こうと思います。
つらい時期を経て、新しいことにチャレンジすることを決心
去年の年末から今年のはじめにかけて、僕にはちょっと(いや、ちょっとじゃないほど)悩んだ時期がありました。
その時僕はその悩みを正面から受け止めて、乗り越えようと思いました。
でも、その悩みは大変なもので、簡単には受け止められないものでした。
そのつらさは、時間が経つこと自体が苦しく感じられるものでした。
内臓がえぐられているような感覚にも襲われました。
僕はつらい思いを紙に書きなぐったりして気持ちを解消しました。
そして、何とか正月明けにはこれを乗り越えました。
やっと回復したあと、何か新しいことにチャレンジすることを決心しました。
会社に長く勤めていると、自分の本当の価値が分からなくなるんですよね。
仮に自分がいなくなったら…と考えてみると、たぶん別の人がカバーして何事もなかったかのように会社はまわっていく。
そう考えたたら、自分の本当の価値って何なんだろう?
自分の(あると思っている)スキルはどれくらいの価値があるんだろう?と思ったわけです。
まず、Webライティングにチャレンジ
つらい時期には「マコなり社長」や「マナブさん」や「大愚和尚さん」のYouTubeをよく見ていました。
大愚和尚さんの動画でつらい気持ちをいやし、「マコなり社長」や「マナブさん」の動画で明るい将来を思いえがきました。
そのなかで「マナブさん」が、Webライティングにはかなりの需要があるのにライターが少ないのでアリですね。という話をされているのを見て、これだと思いました。
自分がこれまで会社の中で文書をずっと作成してきたスキルがライティングにいかせるのではないかと考えたのです。
そこで早速ランサーズに登録して、Webライティングの仕事の依頼に対して提案することを始めました。
Webライティングの提案で落ちまくり
最初はドキドキしましたが、とにかくおもいきっていくつかの依頼に提案しました。
それから毎日何度もランサーズのページで依頼が来ないか確認をし続けましたが、結果はことごとく落選でした。
はじめの頃はライティングというのがどのようなものかわからないので、とにかく自分が書けそうなものだけを選んで提案していました。
しかし、それでは全く依頼が来ないので、そのうち逆に絶対書けそうにないもの以外は、徹底的に提案を提出してエントリーしました。
それでも実績100件以上の強者が現れるとそのライターに依頼はあっさり取られていきました。
僕は結果を見てその都度「やっぱりなぁ😢」と落ち込みました。
でもまぁ、依頼者の気持ちを考えると当然ですよね。
仕事を依頼するんですから。
実績のある人に発注するほうが、どんな実力があるのかわからない実績のない人に発注するより安心なハズです。
打開策を考える
そのまま同じことをしていても、選考に落ちる毎日をすごすだけだと思いました。
そして僕は、提案にファイルの添付ができることに気づき、提案するときに、依頼の内容の完成品を自分で前もって作成して送りました。
こうすることで、実際に依頼の内容の記事が僕にも書けることを証明して、受注にこぎつけようとしたのです。
また、一度作成した文書はつぎ以降の提案のときも「別の案件で作成した文書」として提案に添付しました。
これが功を奏したのかどうかはわかりませんが、そのうちやっと、いくつかテストライティングを受けられるようになりました。
Twitterを始める
こうして受注するようになったテストライティングの案件の課題の中に、「Twitterなどで本人の感想を収集して記述するように」というものがありました。
このため、僕は情報収集の目的で、どちらかというとやむなくTwitterを始めました。
僕は、SNSをやると世の中に名前が拡散し、自分のコントロールが効かなくなるものだと思っていました。
だから、Twitterをずっと避けていたのです。
最初はほとんど自らはTweetせず、もっぱら検索ばかりしていました。
でも、だんだん慣れてきて、いくつかTweetしているうちに、思いがけずFollowerになってくれる人が出てきたり、たくさんの人が見てくれたり、Likeボタンを押してくれました。
すると、だんだんそれがうれしくなり、いわゆる「刺さる」Tweetをしたくなる衝動に駆られるようになったのでした。
(明日につづく)
こうぷー
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