【より良く生きる】慢性膵炎で入院中に死について考えた

人生、生きかた

中学生の時に死んだらどうなるんだろうと思って、眠れない夜がありました。

自分がこの世からなくなってしまうというのが、ものすごく怖いことのように思えました。

現在、僕は、だいぶ年を取ったので、その時ほど死に対する恐怖はなくなりました。

今もその気持ちが全くなくなったわけではないけれども…。

皆さんも、これまで、死について考えたことがあるでしょうか?

僕は、今から9年前に慢性膵炎になって入院した時に、死についてかなり考えたことがあります。

今日は、そのことについて書いてみようと思います。

一般的な死について

人間の、この意識のいちばん源になっているものって、死んだらどうなるんだろう。

テレビがプツンと切れたみたいに、消えてなくなるんだろうか?

こんなことを考えたことは、ありませんか?

ダウンタウンの松っちゃんが言ってるみたいに、人間の体って乗り物みたいなもののようにも思えます。

哲学的な話になりますが、僕が「僕自身である」と言っているものは、心臓でも脳みそでもなくて、自分自身の意識のことです。

厳密に言うと、体のどこにあるのかは、何かはよくわからないもののことです。

それが僕というからだ(乗り物)の中にいるような感じがします。

それはどこにいるんでしょうか?

僕は、目の奥のあたりにいるように思えます。(皆さんはどうですか?分かりますか?この感覚)

でも、普通の乗り物とは違っているのは、その乗り物の運転手である僕自身の意識の善悪が、体や顔にも影響することです。

いいことをしていると、見た目もよく見えるようになる。

逆に、悪いことをしていると、乗り物(体や顔)も悪く見えるようになる、という不思議な関係です。

常に、いい考えや心がけをしていると、いい顔つきになっていきます。

悪いことばっかり考えていたり、心がけが悪いと悪い顔つきになっていく。

乗り物である体の状態も同じで、食べ物もちゃんと食べていて、運動もやっていれば健康でいられる。

そうでなければ、不健康になってしまいます。

そういった意味では、僕自身であるこの意識と僕の体には、一定の相関関係があるように思います。

イェール大学の教授の人気講座にも「死とは何か」というのがあるようです。

本にもなっているみたいですねね。

その先生が言っているのかどうかはわからないのですが、死ぬというのは、毎日寝るのと同じようになるだけという人もいるらしいです。

毎日寝て、意識を失うように、意識を失って終わり。

なんかむなしいけど、結局そんなことが正しいことのようにも思えます。

僕が入院して考えた死について

僕が生まれてこの方、人生の中で、最も死に近づいたのは、慢性膵炎で入院していたときだと思います。

慢性膵炎になって入院するまでの話は、昨日書いた通りです。

慢性膵炎になって考えたこと(すべては自己責任)

病院に入院したときの僕の部屋は、4人部屋でした。

僕以外の3人は、何日間かで入れ替わって行きました。

それらの人たちは、若くて60歳過ぎ、年の行った人は70歳後半?だったと思います。

みんなだいたいがん患者でした。

癌はいまやもう、種類によっては治る病気のようです。

がん患者の皆さんは、何ヶ月に1回?抗がん剤の投与のために何日間か入院している感じでした。

僕の横の人だけはちょっと違う感じで、70歳後半のような感じの人でした。

その人は、おなかに腹水が溜まったりしているみたいでした。

入院して2週間ぐらい経過したある日の夜中のことです。

急に看護師さんが僕の病室に3人くらい来て、バタバタと僕の横のおじいさんをベッドごと運び出していきました。

様子からして、ただ事ではないことは僕にも分かりました。

たぶん、何か病状に変化があったのだと思いました。

翌日、病院の廊下を歩いていると、そのおじいさんは個室の病室に移っていることが分かりました。

それから2日後、その個室から小学生ぐらいの女の子の声が廊下に聞こえてきました。

「おじいちゃん、可愛そうや!!」

その日にそのおじいさんは、亡くなったように思われました。

数日前まで、僕の横で寝ていた人が、アッという間に亡くなってしまったということは、僕にとっては、かなりショッキングなできごとでした。

「こんなに簡単(すぐ)に、人間って、なくなってしまうもんなんだ…。」

僕は、それから死について考えました。

病院の天井の無機質な模様を眺めながら、なんとなくぼんやりと。

死ぬって、どんな感じなんだろう?

僕は慢性膵炎になってしまって、この病気の平均予後生存期間って10年らしい。

そうすると、僕は10年後には、もう死んでしまって、この世にはいないんだろうか?などと…。

入院した当初は、僕も死にいくらか近づいていたのだとは思います。

でも、実際に僕自身に本当に死が近づいているという実感は、ありませんでした。

「もしかしたら死ぬかもしれない」なんて、当時の僕にはとても思えませんでした。

逆に、本当に死ぬ時も、そんなものなのかな?とも思いました。

一方で、「人間って、あんなにもあっさりと死んでしまうもんなんだな。」ということも、実感しました。

僕は、ひととおりそんなことを何日か考えたあと、すごく「ありてい」な考えですが、「今を一生懸命生きる」しかないじゃん。と思いました。

「人間は100%必ず死ぬ。それもいつかわからない。どうすることもできない。なら、生きている今、一生懸命生きるしかないじゃん。」と。

それから、僕は2か月間の入院の間ずっと、一心不乱に英検準1級の勉強をしました。

ある意味、死を考えないようにするためだったのかも知れません。

そして、その半年後に見事に英検準1級を獲得することになります。

今から考えると、その時にブログやプログラミングのことを知っていたら、もっと早くから一生懸命やっていて、トップランナーになれていたかもしれませんが…。

まぁ、それはそれで、その時々、自分の精一杯を頑張るのがいいのだと思います。

まとめ

僕は慢性膵炎で、普通の人よりもかなり死に近づきました。

さらに、病室の隣の人が死んでしまうという経験で、死を身近に感じる体験をしました。

でも、結局、結論は死ぬって、わからないということです。

何かすごく新しいことが書いていあるのかと期待した方、すみません。

でも、当たり前です。

今、生きている人で死ぬということを体験した人は一人もいないわけですから。

結局の僕の結論は、こういうことになります。

  • 死は、わからないけど、必ずやってくる
  • 誰も逃げることはできない
  • それなら、生きている間にやりたいことを、後悔しないように一生懸命やるしかない

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

こうぷー

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