【僕の人生の転換点】慢性膵炎になって考えたこと(すべては自己責任)

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僕は今から9年前に慢性膵炎で約2カ月間入院をしました。

それは、僕の人生で初めての入院でした。

慢性膵炎という大病を突然患ってしまったことで、僕の人生のいろんなことが、それまでとは、全く変わってしまいました。

今日は、その入院に至った経緯や、その時考えていたことについて、書いてみようと思います。

膵炎発症から入院まで

僕は、今から9年前の2011年(ちょうど東日本大震災のあった年)まで、健康には全く問題はありませんでした。

毎年の人間ドックでも、ちょっとした所見(有所見健康)さえないような状態でした。

お酒も、毎日飲んでいるとはいえ、多い日でも、350㎖缶のビールかチューハイを4,5本飲む程度でした。

しかし、会社の歓送迎会や忘年会、新年会で飲みすぎると、ごくまれに、強烈な腹痛に襲われることがありました。

今から考えると、それは急性膵炎だったんだろうと思います。

さて、僕は2011年の3月21日の春分の日、また強烈な腹痛に見舞われていました。

前の日にたぶん送別会かなんかがあって、飲みすぎたのだと思います。

3月21日は1日中、腹痛に耐えながら寝て過ごし、翌日に近所の胃腸内科に行きました。

案の定、急性膵炎だという診断を受けました。

でも、その医師は「あなたは、まだ若いし、お酒をやめろとか、脂っこいものを食べるなと言っても無理だろう。膵炎の薬を処方するので、適当にやりなさい。」と言いました。

そして、フオイパンという膵炎に対する薬を処方してくれました。

僕は、その医師の言葉を良いことに、それからも毎日缶ビールか缶チューハイを飲み続けました。

腹痛が完全に治まることはなかったのに…。

医者が言っているんだから、大丈夫なんだろうと思っていました。

腹痛もそのうちなくなるだろうと…。

実際、飲酒をすることによって、腹痛は若干やわらぎました。

今から考えると、それはたぶん飲酒によって脳が麻痺していたからなんだろうと思います。

でも、いつまでたっても腹痛自体が完全になくなることはありませんでした。

なんとなくお腹が痛い状態がずっと続いていました。

いわゆる鈍痛が続いているのにも関わらず、僕はそれでも、毎日飲酒を続けていました。

そんな生活を約2か月続けた5月の末ごろ、だんだん症状は悪くなっていきました。

腰が痛くなり、微熱が引かなくなってしまいました。

その頃には、まるでおじいさんのように腰を屈めながらでないと歩けなくなっていました。

さすがにこれはおかしいと思い、紹介状を書いてもらって、今度は近所の総合病院の診察を受けることにしました。

それが、その年、2011年の6月6日のことでした。

最初の急性膵炎から、約3か月が経過していました。

1日かけて血液検査、レントゲン、MRIなどいろんな検査をし、最後医師の診察で言われました。

「膵アミラーゼの値がとんでもない数値で、内臓の炎症度合いが分かるCRPの値も同様にとんでもない。病室を確保したので、今すぐ入院してください。」

僕は、入院なんてするつもりは全くありませんでした。

僕はとっさに、「いや、仕事も全然整理してきていないし、入院の準備もしていないので、2,3日待ってもらえないですか?」と聞きました。

でも、医師は「ダメです。命にかかわりますので即入院してください。着替えなどは家族に持ってきてもらってください。」と言いました。

僕は観念して病室に行きました。

手首にバーコードが書かれたタグのようなものを巻かれ、早速点滴をされました。

それ以降、僕はほぼ2カ月間ずっとこの点滴だけで生きていくことになるのでした。

すべては自己責任

ここまでが、僕が慢性膵炎になった経緯です。

今から考えると、慢性膵炎になることは防ごうと思えば防げました。

たぶん、最初に急性膵炎になったところで、飲酒を完全にやめてしまえばよかったのです。

そのようにして、炎症を完全に抑えてしまえば、たぶん急性膵炎は完全に治癒していたハズです。

そして、しばらくすれば、元通りに戻ることができたんだと思います。

そうなっていれば、お酒の隠れ飲みとか、それによって家族を傷つけるとかということとも無縁だったのかもしれません。

でも、実際に僕は慢性膵炎になってしまい、お酒を飲んではいけない体になってしまいました。

しかし、その後、4年経過してから、僕はお酒を飲んではいけないにも関わらず、お酒を飲んでしまうことになります。

またさらに、お酒をやめないといけないのに、やめられないということが原因で、様々な問題を抱えることになります。

そして、お酒をやめられなかったある時期、急性膵炎の時にかかった近所の胃腸内科の医師を恨んでいました。

あのとき、あの医師がきちんと僕に膵炎の怖さを教え、飲酒を止めてくれていたら、慢性膵炎になることもなかったし、今でもお酒も飲めていたかもしれない、と。

そして、家族に心配をかけたり、隠れ飲みをして嘘をつくことによって、家族の信頼を失うこともなかったと…。

僕は心の中で、すべてをその医師のせいにしていました。

しかし、その後、その考え方は間違っていると、いろんなことを深く考える中で考え直すことになります。

どのように考え直したかというと…。

簡単に言うと、それも含めて、選択をしてきたのは自分自身だということに気付いたのです。

確かに胃腸内科の医師は「お酒も油ものも適当にするように」と言いました。

医師によっては、「絶対に禁酒です。炎症がなくなるまで絶対飲んではいけません。」という人もいたと思います。

実際に、慢性膵炎で入院した総合病院の医師はそうでした。

「絶対に今後お酒を飲まないと約束してください。」

「約束しないのであれば、治療はしません。」

「お酒を飲むのであれば、いくら治療しても一緒ですから。」

でも、近所の胃腸内科の医師のことばを良いことにして、毎日飲み続けるという選択をしていたのは、実は僕自身なのです。

痛みがいつまでたっても治まらないにも関わらず…。

誰も強制的に僕にお酒を飲ませようとしたわけではありません。

自分で飲もうと思って自分で飲んでいたのです。

不幸だと言えば、膵炎に関して僕自身が無知であったこと。

そのまま飲み続けて慢性膵炎になった場合に、元には戻らないということを知らなかったこと。

それと、最初にかかった医師も、普通の内科の医師ではなく、内臓の専門家である胃腸内科の医師であったにも関わらず、強く飲酒を止めてくれなかったことは、不幸だったかも知れません。

しかし、自分の病気について深く理解をしていなかったののも自分の責任です。

そして、そこは僕がとても甘かったんだと思います。

それも含めて自己責任です。

人は不幸なことが自分に降りかかったときに、他人のせいにしたがります。

それは人間の持っている自己防衛本能なのかもしれません。

このような不幸な状況になったのは、自分は悪くない、他人のせいである、社会のせいである、など…。

ほとんどの場合、自分の選択によってなんとかなるものです。

もちろん、その時の運やめぐりあわせもあります。

でも、その状況の中で行った、自分の何らかの自分の選択が、その状況に至った原因です。

それをちゃんと受け入れて、反省して進んでいかない限り、本当の意味で、不幸な人間になってしまうと思います。

なんの進歩もなく、なんでも人のせいにして、文句ばかりを言っているような…。

まとめ

今日は、僕が慢性膵炎になってしまった経緯と、そのことについて考えてきたことを書いてきました。

僕は一時期、僕が慢性膵炎になってしまったのは、近所の胃腸内科の医師のせいだと考えていました。

でも、後から考えるとその考えは間違っていました。

「お酒を飲む」という選択をしていたのは、他でもない自分だったということに気付いたのです。

その近所の胃腸内科の医師の言葉を、勝手に自分の都合のいいように解釈していただけでした。

自分の選択の責任をとって、きちんとそのことは反省することが大事だと思います。

すべては自己責任なんです。

それをキチンと考えて毎日生活をしていないと、なんでも他人のせいにするような人生になってしまいます。

そんな人生は、振り返ったときに空しいものになってしまうと思います。

そして、自分が毎日選択をしているんだと考えることによって、自分自身の人生の選択に重みが出てきます。

そこから得た教訓を持ちながらその後の人生を切り開いていくことで、明るい楽しい未来が開けていくのだと思います。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

こうぷー

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