今日は、2020年12月31日です。
今年も終わりですね。
長いようで短かったです。
年を取ると、年々、短くなっていくように感じます。
今日、僕はお酒を飲まなければ、今年1年は全くお酒を飲まなかった1年だったことになります。
今日は、今年1年の断酒生活を振り返ってみようと思います。
僕の断酒の経緯
僕は、約1年4か月前の2019年8月26日から断酒を続けています。
まずは、僕の断酒に至るまでの経緯を書こうと思います。
僕は、20歳のころから毎日お酒を飲んでいました。
ビールとチューハイが好きでしたね。
あと、ワインとシャンパンも好きでした。
日本酒とウィスキーなんかはダメ。
おいしいと思わなかったです。
でも、飲む量はそんなに多くなかったです。
1日に多くて、缶ビールかチューハイを4,5本。
たまに、会社の歓迎会や送別会などで、はめを外せばそれ以上飲んで、二日酔いになる程度でした。
30歳を超えたあたりから、ときおり激しい腹痛に襲われることがありました。
それは、今から思えば急性膵炎になっていたんだと思います。
そして、42歳の時に慢性膵炎を患い、約2か月間入院生活をしました。
それで、お酒は飲んではダメな体になってしまいました。
入院生活後は、再び膵炎を発症すると死ぬと思っていたので、4年間お酒をやめられていました。
でも、心の底では、そもそも慢性膵炎は一升瓶を毎日飲む人が50~60歳になる病気だと思っていました。
先ほど書いたとおり、僕はそんなに大量にお酒を飲むわけではありませんでした。
だから、心のどこかで、僕の慢性膵炎はお酒が原因じゃないのではないか?と思っていました。
少なくとも、少量の飲酒なら大丈夫なんじゃないかと。
そして、入院から約4年後、今から5年半前、家族に隠れてお酒を飲むようになりました。
お酒を飲んでも、体になんの不調も起こりませんでした。
だから、当時高校生だった息子に見つかっても、「これぐらい、いいじゃないか!」と逆に怒っていました。
「仕事もちゃんとやっているし、タバコもギャンブルもしない。」
「金遣いも荒くない。これぐらいの楽しみがないと、生きていても楽しくないじゃないか!」と。
このことによって、家族は僕の体のことをとても心配をしました。
次に膵炎を起こすと死ぬと医者に言われているので当然です。
隠れ飲みを始めて半年後、アルコール専門病院にも行くようになりました。
それでも、お酒をすぐにはやめられませんでした。
実際には、お酒を飲んでも何も起こらないので、僕は、お酒を飲んでも大丈夫だという思いを強くしてしまっていたのです。
そんなことで、約4年間もお酒をやめられない生活を送ってきました。
隠れ飲みをしているのを見つかってはしばらくやめて、また隠れ飲みをするということを繰り返しました。
さらに、お酒を飲むために嘘をつくので、僕は信用も失っていきました。
そして、今から1年4か月前、家族の悲痛な思いを思い知ることになりました。
家族はもう、僕のことを全く信用できなくなってしまっていたのです。
これではいけないと思い、やっと本気でやめる決心がつきました。
それから今まで、お酒を飲まない生活を何とか続けてこられています。
納得いく生活を送った
最初に書いたとおり、今日を乗り越えれば、僕は今年1年、お酒なしの生活を貫徹したことになります。
総称して言えば、その生活は納得のいくものでありました。
楽しいことばかりではないですけど…。
もし途中でお酒を飲んでいたら、全く違った1年になっていたと思います。
そもそも、お酒を飲んでいれば、そんなことすら考えなかったでしょう。
お酒を飲んでいれば、当然酔っている時間があります。
その間は、ある意味、訳が分からなくなっている時間です。
酔いというものはそういうものですから…。
それがひどくなると、記憶がなくなっていたりするわけです。
また、二日酔いなどをすると、その間もまともにものごとを考えられていないと思います。
お酒のない生活というのは、そういうものが全くありません。
ほぼすべての時間がクリアです。
すごく動揺するようなショッキングなできごとでもない限り…。
そのような意味で、お酒のない生活では、いろんなことがキチンと理解できています。
良いことであろうと、悪いことであろうと…。
そして、それらについて、キチンと自分で判断することができます。
だから、うまく行っても、うまく行かなくても、結果には納得ができます。
そんな生活を、今年1年は送ることができました。
すべてがうまく行くわけではない
だけど、お酒をやめたからと言って、当然、いろんな問題が起こらなくなるわけではありません。
お酒を飲んでいようがいまいが、問題は発生します。
会社でも、家庭でも、プライベートでも…。
お酒を飲まない生活というのは、ある意味、人として正しい生き方をしていると考えてしまいます。
特にお酒を飲んで問題を起こしてしまっていた人にとっては…。
そして、正しい生き方をしている人には、問題は起こらないのではないかと思ってしまいがちです。
正しい生き方をしているんだから、そんな人に困ったことは起こるべきではないと…。
神さま?仏さま?人間の力を超えた大きな力?のようなものは、キチンと正しい行いをすれば、それを応援してくれるハズだと…。
でも、実際にはそんなことはなくて、いろんな問題は確実に起こってしまいます。
今までは、お酒でそれを一時的に忘れていただけなのです。
見たくないものですから…。
だけど、お酒を飲まない人生では、それらを真正面から受け止めなければなりません。
それが、断酒生活の難しさであり、厳しさでもあります。
その厳しさやつらさから逃れようとすると、再飲酒をして、元の生活に戻ってしまいます。
でも、再飲酒すれば、元の木阿弥です。
だから、うまく行かないことがあっても、お酒なして頑張るという気概が必要になると思います。
そして、それでもそこから頑張って、正しい生き方をしていると、やっとそこから、いいことが起こるようになると思います。
周りの人が助けてくれたり、思いがけない幸運が舞い込んできたり…。
ここまで来て、やっと神さま?仏さま?見えない力?のようなものが見方をしてくれるんだと思います。
人間関係の修復には時間が必要
断酒を続けているからと言って、傷つけられた人間関係の修復が、すぐにできるわけではありません。
迷惑をかけられていたほうからすれば、当然のことです。
これまでさんざん嫌な目にあわされていたのに、「お酒をやめたから許してください。」「はいそうですか。」という訳にはいかないのです。
僕の場合も、隠れ飲みでさんざん家族に心配や迷惑をかけてきました。
信用も失いました。
さんざん嘘をついてきたもんですから、僕の言うことを信用できないのも当然のことです。
断酒をしているということさえも、最近まで信用されていませんでした。
もしかしたら、今でも疑っているのかもしれません。
「断酒をしていると言いながら、また隠れてお酒を飲んでいるんじゃないか?」
そんな風に思われるのは、一生懸命断酒をしている側からすれば、腹立たしいことです。
「一生懸命断酒しているのに、応援するどころか疑うのか!」と怒りたくなります。
でも、これまで断酒をしていると言いながら、嘘をついてきたのは自分自身なんです。
信用できなくしてしまったのも、自分自身の責任なんです。
だから、信用を取り戻すまで、時間がかかっても、頑張るしかないんです。
このように、人間関係の修復には時間がかかります。
かけた心配や迷惑の程度によっては、修復するには、一生かかることもあるかもしれません。
それでも、償っていくしかないのではないでしょうか?
場合によっては、愛想をつかされて見放されていたかもしれないわけです。
それでも、一緒にいてくれるというだけでも、ありがたい話じゃないですか。
だから、頑張って断酒を続けて、償っていくべきなんだと思います。
楽しい思い出もつらい思い出に変わってしまう
この時期、いろんなことを振り返る機会になりますよね。
テレビでも、何年も前の映像が出たり、流行っていた歌が流れたり…。
そんな時に、その映像や歌の流行った時に自分や家族がどうだったのか?ということを考えてしまいます。
例えば、たった今、テレビでは「逃げるは恥だが役に立つ」をやっています。
「それが放映されていたのは、4年前で、その頃はこんなに家族の人間関係が悪くなかったなぁ…。」とか…。
そんな風に考えてしまうわけです。
それだけだったらいいのですが、昔の楽しい思い出も、つらく感じられるということに気付きました。
昔の映像や歌を聞いて、「あの頃は、幸せだったなぁ。」と思うだけならいいのですが、
それと必ずセットで、「なのに、こんな風になってしまった…。」とつらい思いをすることになってしまいました。
それも、すべて、過去の思い出が、僕の4年間の僕の隠れ飲みという黒歴史のフィルターにかかってしまうからなんだと思います。
それもやっぱり、それは自分自身の行ったことの結果です。
すべて受け止めて、認めて、そこから頑張るしかないのだと思います。
それでもお酒は飲まない
こんな風に、頑張って断酒を続けていても、いいことばかりがあるわけではありません。
むしろ、つらいことの方が多いのかもしれません。
断酒を続けるということは、生きていて遭遇するさまざまな困難に、”しらふ”で正面から立ち向かっていくということですから…。
それでも、僕はお酒を飲みません。
お酒を飲めば元の木阿弥です。 b
また、嘘をつき、家族や周り人をがっかりさせ、信用を失い、自分自身のことをさらに嫌いになるだけです。
そんな人生はまっぴらです。
これからは、正しい生き方を続けると決めました。
もう、人を傷つける嘘は絶対つきたくありません。
だから、お酒はもう飲みません。
それでも、ふとした時にお酒に手を伸ばしてしまうことがないように気をつけなければなりません。
断酒を続けるというのは、そんな綱渡りのような毎日の積み上げなのです。
まとめ
今日は、「今年1年断酒を貫徹した」ということについて書きました。
断酒をすることで、いろんなことをキチンと考えることができます。
そして、納得できる生活を送ることができます。
一方で、様々な問題は起こり続けます。
それは、お酒を飲んでいようがいまいが関係のないことです。
断酒を続けるということは、それらの問題から逃げることなく正面から受け止め続けることになります。
また、傷つけた人間関係は、断酒を続けているからと言ってすぐに回復するものではありません。
これまで傷つけ続けてきたという蓄積があるからです。
それは、一生続くこともあるでしょう。
さらに、楽しかった思い出も、お酒で迷惑をかけたという期間のフィルターにかかるとつらい思い出になってしまいます。
そんなことに立ち向かいながら、断酒は続けなければなりません。
でも、再びお酒を飲んで逃れれば、元の木阿弥です。
そうではなくて、正しい生き方を選択して、明るい未来があることを信じて頑張ります。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
こうぷー
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