今日はいよいよMicrosoftの話です。
いまや、なくてはならないWindowsの話。
今日のトレーナーさんはRoyさんです。
いつものとおりの最初のスモールトークを終えて、レッスンに入っていきました。
まずは、泣く子も黙る、Bill Gatesのことばから…。
私たちは皆、フィードバックをくれる人を必要としています。 それが私たちが改善する方法です。
予想以上にシンプルなことばでした。
Windowsと言えども、いろんな人からのフィードバックで改善してきたということでしょうか?
Royさんにこの言葉についてどう思うか?と聞かれました。
どう思うかと言っても、その通りだとしか言いようがありませんでした。
めっちゃシンプルで、正しい言葉だったので…。
1980年代以降、世界はWindowsオペレーティングシステムの進化を目の当たりにしてきました。
まさしく。
僕が高校時代ぐらいから、NECのPC-98シリーズとかが売られていましたね。
あんまり、意味がよくわからず、コンピュータ言語を写経していたような記憶があります。
結局なんの役にも立たなかった。
それ以降、Windowsの独擅場だったような気がします。
古いDOSベースの環境からタイル化されたアプリのインターフェイスまで、Windowsは多くの変更を経てきました。
奇妙なことに、Windowsは、Windows 8からWindows 10にバージョンが飛んでいるらしいです。
ミスなのか?何か意図があったのか?
その理由は、何かというと…。
Microsoftは、Windows 10が以前のバージョンよりも2バージョン優れており、Microsoftがこれまでにリリースする最終バージョンになる可能性があるため、Windows10にジャンプしたと主張しています。
すごい自信ですね。
Windows 10はそれだけ完璧なOS(Operating System)だということです。
まぁ、他にないですからね。
Windowsに変わるようなものは…。
多くの技術に精通した愛好家は、Windows10が時期尚早に発売されたと信じています。
何でなんでしょうか?
時代を先取りしすぎたんかな?
最初のWindows10バージョンは醜く、不安定で、バグが蔓延していたため、彼らは正しいです。
そうだったんですね。
不安定で、バグがいっぱいあった。
そんな記憶が確かにあります。
でも、それだけじゃ困ります。
製品として不十分です。
それをどうしたんでしょうか?
どうやらこのめちゃくちゃな行動には裏がありました。
どういうことなんでしょうか?
“method to someone’s madness”で、「人の一見無謀[めちゃくちゃ]な行動の裏にある合理性[綿密な計算]」という意味があります。
ちょっと難しいイディオム。