ロシア軍のウクライナ侵攻から約2ヶ月が経ちました。
まだまだ、停戦の雰囲気もありません。
そんな中、その戦争中のウクライナに残っている日本人がいます。
以前には、ライターとして状況を伝えている人を取り上げたこともありました。
昨日に引き続きウクライナ情勢の話です。ウクライナには、日本人もまだ滞留しているようです。中には、望んでキエフに残っている人もいます。今日は、そのような日本人駐在員さんの話を取り上げます。危険な中で、「第二の故郷」のウクライナのために、何が起こっているのかを発信し続けている。そんな人の話です。では、記事全体を読んでみたいと思います。A Japanese expatriate who works for a local media outlet in Kyiv wants to help restore peace in her “second home.”キエフの地元メディアで働く日本人駐在員は、彼女の「... 【英字新聞を読む!】キエフを拠点とする日本のジャーナリストは、ウクライナの状... - こうぷーぶろぐ |
今日は、絵を投稿している人の話題を取り上げようと思います。
まずは記事全体を読んでみたいと思います。
ロシアの侵略中の日常生活を描くことは、ウクライナの状況を世界に伝えるための1人の芸術家の方法です。
Embroidery artist Asako Ishida has been living in Ukraine for half her life, mainly in the eastern city of Dnipro, which continues to be threatened by Russian forces. Remaining in the city, she has been drawing images of the war and life during the invasion from a civilian perspective.
刺繡芸術家の石田麻子は、ロシア軍の脅威にさらされ続けている東部の都市ドニプロを中心に、生涯の半分をウクライナに住んでいます。都会に残り、侵略中の戦争と生活を民間の視点で描いてきました。
Through the drawings she posts on her Instagram account, (@akkobysakko), she hopes people will continue to pay attention to the situation in Ukraine and reinforce the desire for peace.
彼女は自分のInstagramアカウント(@akkobysakko)に投稿した絵を通して、人々がウクライナの状況に引き続き注意を払い、平和への欲求を強めることを望んでいます。
Originally from Sendai, the 52-year-old Ishida studied Russian on her own during her university days. She then went to Kyiv to study in 1996, and married Dnipro native Sergiy Moroz the next year. Since then, they have been living mostly in Dnipro.
仙台出身の52歳の石田は、大学時代に独学でロシア語を学びました。その後、1996年にキーウに留学し、翌年にはドニプロ出身のセルギー・モロスと結婚しました。それ以来、彼らは主にドニプロに住んでいます。
Ishida had started drawing the series as a way to let her worried parents and friends in Japan know that she was unharmed. She keeps drawing because “it’s meaningful to document the reality of war to leave a record,” she said.
石田は、心配している日本の両親や友人に自分が無傷であることを知らせる方法としてシリーズを描き始めました。 「記録を残すために戦争の現実を記録することは意味がある」という理由で、彼女は絵を描き続けています。
では、1文ずつ文章を細かく見ていこうと思います。
ロシアの侵略中の日常生活を描くこと(depicting daily life)は、ウクライナの状況を世界に伝えるための1人の芸術家の方法です(one artist’s way of conveying the situation in Ukraine to the world)。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってから2カ月近くになりました。
その侵攻されているウクライナに日本人のアーチストが残っているようです。
その人は、ロシアの侵攻中のウクライナでの日常生活を書き続けています。
“one artist’s way of conveying the situation in Ukraine to the world”で「ウクライナの状況を世界に伝えるための1人の芸術家の方法です」と訳しています。
“convey”は「運ぶ、伝える、伝達する」という意味の動詞。
刺繍芸術家(embroidery artist)の石田麻子は、ロシア軍の脅威にさらされ続けている(continues to be threatened by Russian forces)東部の都市ドニプロを中心に、生涯の半分をウクライナに住んでいます(has been living)。
都会に残り、民間の視点で(from a civilian perspective)侵略中の戦争と生活を描いてきました(has been drawing images of the war and life)。
刺繍芸術家の石田麻子さんは、ドニプロに住んでいて、ロシア軍の脅威にさらされ続けている。
ドニプロに残って、戦争と生活を描き続けている。
民間の視点で、ロシア軍のウクライナ侵攻を見た感じを絵で表現し続けているということです。
“has been drawing images of the war and life”で「戦争と生活を描いてきた」と表現しています。
現在完了進行形で書かれているので、「今までも、今もずっと描き続けている」ということがわかります。
彼女は自分のインスタグラムのアカウントに投稿した絵を通じて(through the drawings she posts)、人々がウクライナの状況に引き続き注意を払い(will continue to pay attention to the situation)、平和への欲求を強めること(reinforce the desire for peace)を望んでいます。
石田さんは、自分のインスタグラムのアカウントに絵を投稿している。
そこに投稿した絵を通じて、世界の人々がウクライナの状況に注意を払い続けてくれることを望んでいる。
そして、ウクライナに平和が早く訪れることも望んでいる。
“reinforce the desire for peace”で「平和への欲求を強めること」と表現しています。
“reinforce”は「強化する、補強する、強固にする」という意味。
仙台出身の52歳の石田は、大学時代に独学でロシア語を学んだ(studied Russian on her own)。
その後、1996年にキーウに留学し、翌年にはドニプロ出身のセルギー・モロスと結婚しました(married Dnipro native Sergiy Moroz)。
それ以来、彼らは主にドニプロに住んでいます(has been living mostly in Dnipro)。
石田さんは、大学時代に独学でロシア語を学んだ。
大学の語学でロシア語もあったと思うのですが、独学なんですね。
そして、ウクライナの首都のキーウに留学して、そこでドニプロ出身の人と結婚した。
それ以来、ドニプロに住んでいるということです。
“studied Russian on her own”で「ロシア語を独学で学んだ」と表現しています。
“on her own”は「彼女自身で」という意味。すなわち「独学で」ということです。
石田は、心配している日本の両親や友人に自分が無傷であることを知らせる方法として(as a way to let her worried parents and friends in Japan know that she was unharmed)シリーズを描き始めました。
「記録を残すために戦争の現実を記録することは意味がある(meaningful to document the reality of war)」という理由で、彼女は絵を描き続けています。
石田さんは、最初は自分の両親や友達に、自分が無事であることを知らせるために描き始めた。
投稿がされているということは、無事であるという確認になりますからね。
そして、一般の人から見た戦争の現実を記録することには、意味があるということでも、描き続けている。
戦争の中で普通の人はどのように暮らしているのかということは、分からないですからね。
でも、危険がある中で、大変な生活だと思います。
“as a way to let her worried parents and friends in Japan know that she was unharmed”で「心配している日本の両親や友人に自分が無傷であることを知らせる方法として」という表現をしています。
ここでの”as”はよく使われる「~として」という意味です。
“let ~ know that ~”で「~(誰か)に~と知らせる」という意味。
このような文を使えるようになると、表現が豊かになります。
今日は、ウクライナのドニプロで絵を描いて投稿し続けている日本人の話でした。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
こうぷー
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