ソ連の最後の書記長であった、ミハイル・ゴルバチョフさんがお亡くなりになりました。
91歳だったということです。
僕たちにとっては、冷戦を終わらせた偉大な人というイメージがあります。
「ペレストロイカ(建て直し)」と呼ばれる改革を断行しました。
そして、これが冷戦の終結、ソ連の崩壊をもたらします。
社会主義国家が次々と終焉を迎え、象徴的なベルリンの壁の崩壊につながります。
今日はこの話題を取り上げようと思います。
まずは記事全体を読んでみたいと思います。
ゴルバチョフ氏は 1985 年に権力を握り、改革を導入し、ソ連を世界に開放しました。しかし、彼は連邦のゆっくりとした崩壊を防ぐことができず、多くのロシア人は、その後の何年にもわたる混乱を彼のせいにした。
Outside Russia, he was widely respected, with the UN chief saying he had “changed the course of history”. The hospital in Moscow where he died said he had been suffering from a long and serious illness.
ロシア国外では、彼は広く尊敬されており、国連事務総長は「歴史の流れを変えた」と語った。彼が亡くなったモスクワの病院は、彼が長く深刻な病気に苦しんでいたと述べた.
He will be buried in Moscow’s Novodevichy cemetery, the resting place of many prominent Russians. It is not clear whether he will receive a state funeral. President Vladimir Putin sent his “deepest condolences”, describing how Mr Gorbachev had had “a huge impact in the course of history”.
彼は、多くの著名なロシア人が眠るモスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬される予定です。彼が国葬を受けるかどうかは明らかではない。ウラジーミル・プーチン大統領は、ゴルバチョフ氏がいかに「歴史の過程で大きな影響」を与えたかを説明し、「深い哀悼の意」を送った。
“He deeply understood that reforms were necessary, he strove to offer his own solutions to urgent problems,” the Russian leader said. The two men had a strained relationship – their last meeting reportedly in 2006.
ロシアの指導者は、「彼は改革が必要であることを深く理解しており、緊急の問題に対して独自の解決策を提示しようと努力した」と述べた。 2人の男性は緊張した関係にあり、2006年に最後に会ったと伝えられています.
では、1文ずつ文章を細かく見ていこうと思います。
ゴルバチョフ氏は 1985 年に権力を握り、改革を導入し、ソ連を世界に開放しました(took power in 1985 and introduced reforms as well as opening up the Soviet Union to the world)。しかし、彼は連邦のゆっくりとした崩壊を防ぐことができず(was unable to prevent the slow collapse of the union)、多くのロシア人は、その後の何年にもわたる混乱を彼のせいにした(blamed him for the years of turmoil that ensued)。
ゴルバチョフ氏は、1985年に書記長に就任しました。
そして、ペレストロイカという政策を進めて、それまで世界から閉ざされた国というイメージのソ連を世界に開放した。
でも、その後、ソ連は急速に崩壊したので、ロシアは混乱をした。
結果、その責任はゴルバチョフにあると言われて、ロシア人には人気がなかったようです。
でも、西洋の人にとっては、ゴルバチョフ氏は明らかにそれまでの他のソ連の指導者とは違っていました。
端的に言うと、話が分かる人という感じ。まともな人という感じ。
“was unable to prevent the slow collapse of the union”で「連邦のゆっくりとした崩壊を防ぐことができなかった」と訳しています。
“collapse”は「崩壊」という意味。
ロシア国外では、彼は広く尊敬されており(he was widely respected)、国連事務総長は「歴史の流れを変えた(changed the course of history)」と語った。彼が亡くなったモスクワの病院は、彼が長く深刻な病気に苦しんでいた(he had been suffering from a long and serious illness)と述べた.
ロシア内では人気がなかったゴルバチョフ氏ですが、主に西側諸国では、尊敬されていた。
冷戦を終わらせた人ですからね。
核兵器削減条約を、当時アメリカ大統領だったレーガン大統領と調印した場面が有名です。
それ以前のソ連の指導者では、考えられないことでした。
そして、ゴルバチョフ氏には長年深刻な病気に苦しんでいたということです。
それでも、91歳まで生きられたのは、ロシア人としては長生きの方ではないでしょうか?
その後、ロシアの大統領になったエリツィン氏は76歳で亡くなっています。
“he had been suffering from a long and serious illness”で「彼が長く深刻な病気に苦しんでいた」と訳しています。
ここでは、過去完了進行形を使っています。
ゴルバチョフ氏が亡くなったというのは過去のことで、その過去の時点までずっと苦しんでいたということで過去完了進行形を使っています。
“suffer”は「苦しむ、被害を被る」という意味です。
彼は、多くの著名なロシア人が眠るモスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬される予定です(will be buried in Moscow’s Novodevichy cemetery)。彼が国葬を受けるかどうかは明らかではない(It is not clear whether he will receive a state funeral)。ウラジーミル・プーチン大統領は、ゴルバチョフ氏がいかに「歴史の過程で大きな影響(a huge impact in the course of history)」を与えたかを説明し、「深い哀悼の意(deepest condolences)」を送った。
ゴルバチョフ氏は、ロシアの有名な人たちが眠るノヴォデビィチ墓地に埋葬される。
でも、国葬が行われるかどうかはまだ分かっていない。
ロシアのプーチン大統領は、一応、深い哀悼の意を表明した。
“It is not clear whether he will receive a state funeral”で「彼が国葬を受けるかどうかは明らかではない」と訳してます。
“whether ~”は「~かどうか」という表現です。
ロシアの指導者は、「彼は改革が必要であることを深く理解しており(deeply understood that reforms were necessary)、緊急の問題に対して独自の解決策を提示しようと努力した(strove to offer his own solutions to urgent problems)」と述べた。 2人の男性は緊張した関係にあり(a strained relationship)、2006年に最後に会ったと伝えられています.
ゴルバチョフ氏とプーチン大統領は、微妙な関係だったようです。
プーチン大統領はゴルバチョフ氏のことを一応は褒めています。
亡くなったときのコメントですからね。悪口は言えないですよね。
2人が最後に会ったのは2006年と言われているようです。
もう、15年以上も前の話です。
“strove to offer his own solutions to urgent problems”で「緊急の問題に対して独自の解決策を提示しようと努力した」と訳しています。
“strove”は”strive”「努力する」の過去形。
ごく最近では、ゴルバチョフ氏は、2014 年のクリミア併合を支持していたにもかかわらず(even though he had supported the annexation of Crimea in 2014)、プーチン氏のウクライナ侵攻の決定に不満を持っていた(have been unhappy with Mr Putin’s decision to invade Ukraine)と言われています。
最近のプーチン大統領の行っている政策について、ゴルバチョフ氏がどのように思っていたのかが書かれています。
2014年のクリミア併合については、賛成していたようです。
でも、今年2月に始まったウクライナ侵攻については、不満を持っていた。
ゴルバチョフ氏は基本的にプーチン大統領と違って、あまり争いごとが好きではないという印象があります。
“even though he had supported the annexation of Crimea in 2014″で「2014年のクリミア併合を支持していたにも関わらず」と訳しています。
“even thought ~”は「~にもかかわらず」という意味。よく使う表現です。
今日は、ゴルバチョフ元書記長がお亡くなりになった話題を取り上げました。
また、一つの時代の終わりが感じられる出来事でした。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
こうぷー
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