今日は、東京オリンピック開催の意義についての振り返りの記事です。
東京オリンピックが開催される前までは、開催するべきか否かの議論がずっと続いていました。
一方で、一旦開催されると、アスリートたちのメッセージによって、みんなが感動することになりました。
そして、開催の意義をみんなが理解することになりました。
政治家が言っていたことには、国民はなかなか理解ができなかったのですが、アスリートのメッセージでみんな開催してよかったと思うことになりました。
このあたりの、振り返りが今日の記事の内容です。
では、記事に入っていきます。
The Olympic flame, lit amid a worldwide pandemic, shined light on the performances of the athletes, who left an indelible impression as they strove for glory. But also illuminated were the wider issues of Japanese politics, the functioning of society, and the meaning of the Olympics itself. What will be the legacy of the second Olympics hosted by Tokyo, 57 years after the first?
世界的な大流行の中で照らされたオリンピック聖火は、栄光を求めて努力したアスリートのパフォーマンスに光を当て、消えない印象を残しました。しかし、日本の政治、社会の機能、そしてオリンピック自体の意味のより広い問題も明らかにされました。第1回から57年後、東京が主催する第2回オリンピックの遺産は何でしょうか。
東京オリンピックが終わりました。
世界的なパンデミックの中でオリンピックの聖火(the Olympic flame)は照らされた。
そして、アスリートのパフォーマンスに光を当てた(shined light on the performance)。
アスリートたちは、栄光を求めて努力をしていた(strove for glory)。
確かに、世界的なコロナのパンデミックという暗い状況の中で、日々努力してきたアスリートたちの活躍は私たちにいい影響を与えました。
一方で、日本の政治や社会の機能、そして、オリンピック自体の意味(the meaning of Olympics itself)の問題も明らかになった。
最初に開催してから57年たった、2回目の東京オリンピックの遺産(the legacy)は何でしょうか?と記事は書いています。
結局、今回の東京オリンピックにはどんな意味があったのか?そのことをこの記事では取り上げようとしています。
This article is the first installment of a series in which The Yomiuri Shimbun considers that question. It was a different Olympics from the very beginning. On the night of July 23, the Emperor officially opened the Games by saying, “I declare open the Games of Tokyo commemorating the 32nd Olympiad of the modern era.”
この記事は、読売新聞がその問いを考察するシリーズの第1弾です。 当初とは違うオリンピックでした。 7月23日の夜、天皇は「近世第32回オリンピックを記念した東京大会の開幕を宣言します」と正式に開幕しました。
この記事は、東京オリンピックの考察の第1弾(the first installment)らしいです。
まず、東京オリンピックは、普通のオリンピックとは違っていました(a different Olympics)。
開会式で、天皇陛下が、オリンピックの開会を宣言してオリンピックは開幕しました。
開会までにもいろんなことがありましたが、とにかく宣言で開幕しました。
He was reading a Japanese translation of the English text stipulated in the Olympic Charter. The charter uses the word “celebrating,” which is translated as “iwau,” but the Emperor’s text, translated by the Tokyo Olympic organizing committee, used the more neutral Japanese word “kinen-suru,” which means “commemorate.” The word must have been regarded as more appropriate amid the pandemic.
彼はオリンピック憲章に規定された英文の日本語訳を読んでいた。憲章には「イワウ」と訳されている「祝う」という言葉が使われていますが、東京オリンピック組織委員会によって翻訳された天皇のテキストには、「記念」を意味するより中立的な日本語の「キネンスル」が使われています。この言葉は、パンデミックの中でより適切であると見なされていたに違いありません。
天皇陛下は、オリンピック憲章の規定の日本語訳を読んでいました(reading a Japanese translation)。
憲章には、”celebrating”「祝う」と書かれていたんですが、実際には「記念する」という言葉を使った。
この言葉は、パンデミックという状況の中で、より適切だと考えられたからだと思われます。
このように、いろんなことについて、考慮されていたようです。
Why hold an Olympics that could not be celebrated? It was the Olympians who taught us the significance of the Games with their words and emotions that touched our hearts.
なぜ祝うことができなかったオリンピックを開催するのですか?私たちの心に触れたのは、彼らの言葉と感情で大会の重要性を私たちに教えてくれたのはオリンピック選手でした。
なぜ、祝うことができない(could not be celebrated)ようなオリンピックを開催するのでしょうか?
その重要性を教えてくれたのは、オリンピックの選手たちでした(it was the Olympians)。
彼らの言葉と感情で(their words and emotions)…。
結局は、普段からの努力の成果を見せてくれたオリンピック選手たちが、彼らの言葉と感情で、その重要性を教えてくれた。
やっぱり、見ていて感動しましたからね。
スポーツの力を思い知らされることになったと思います。
苦しい状況でも、頑張らないといけないというような思いを抱きます。
“I understand that there were mixed opinions on [holding the Olympics],” judoka Shohei Ono told reporters after winning the gold medal in the men’s 73-kilogram division. “But for us athletes, we are honored if, by watching us, people experience a moment that touches their hearts.”
男子73キロの金メダルを獲得した大野将平柔道選手は、記者団に対し、「(五輪の開催】については意見が分かれていたと思う」と語った。 「しかし、私たちアスリートにとって、私たちを見ることによって、人々が心に触れる瞬間を経験することができれば、私たちは光栄に思います。」
柔道の金メダリストの大野将平選手も同じようなことを言っています。
「東京オリンピックの開催(holding the Olympics)については、意見が分かれていた(there were mixed opinions)。」
「でも、アスリートにとっては、自分たちを見て、人々が心に触れる瞬間を経験する(people experience a moment that touches their hearts)ことができれば、私たちは光栄に思う(we are honored)。」
確かに、オリンピックの開催までは、やるべきかどうかという議論がされていました。
でも、いざ、オリンピックが始まると、アスリートの活躍に目が行くようになった。
そして、いろんな感動的な場面を目の当たりにすると、心に触れる瞬間を経験するようになった。
そのことは、とても人々にとって重要なものだったと思います。
The athletes had endured much themselves. The Games were postponed for a year. There were times they couldn’t train or compete. And at the Olympics, their movements were highly restricted. It can never be said that the Tokyo Games were proof of a “victory” over the coronavirus. But through the Games, many people must have found significance in sharing determination to overcome obstacles.
アスリートたちは自分たちで多くのことを耐えてきました。大会は1年間延期されました。彼らは訓練も競争もできなかったことがありました。そしてオリンピックでは、彼らの動きは非常に制限されていました。東京オリンピックがコロナウイルスに対する「勝利」の証拠であったとは決して言えません。しかし、大会を通じて、多くの人々が障害を克服する決意を共有することに重要性を見出したに違いありません。
アスリートたちは、オリンピックに参加するために多くのことに耐えてきた(had endured much themselves)。
人々が遊んでいる間も、鍛錬して練習をやったりしていたと思います。
東京オリンピックは、実際に1年間延期され(postponed for a year)、その間もコロナ禍で練習も試合もできないこともあった。
そして、オリンピックは開催されたものの、非常に制限された(highly restricted)中での開催になった。
もともとは、コロナを克服したという大会にしたかった。
でも、コロナは収束せず、逆にひどくなる中での開催になってしまったので、「勝利」の証拠(proof of a “victory”)の大会とはならなかった。
でも、世界中の人たちが、障害を克服する(overcome obstacles)ということを共有することに重要性を見出すような大会になった。
Before the display of this attitude by the athletes, no strong or compelling messages had come out of the Japanese government, nor the Tokyo metropolitan government, nor the Tokyo Olympic organizing committee. Because of that, it created divisions in Japan, and public opinion became split over holding the Games.
アスリートがこの姿勢を示す前は、日本政府、東京都、東京オリンピック組織委員会から強いメッセージや説得力のあるメッセージは出ていませんでした。そのため、日本に分裂が生じ、大会の開催をめぐって世論が分裂した。
アスリートがこのようなメッセージを出す前には、日本政府や東京都、オリンピック組織委員会からみんなが納得するような強いメッセージや説得力のあるメッセージ(strong or compelling messages)は出ていませんでした。
主催者側も何らかのメッセージは出していたと思いますが、人々に届くようなものではなかった。
だから、日本中が分裂して開催するべきかどうか世論が分裂した(public opinion became split)。
Since taking office in September last year, Prime Minister Yoshihide Suga repeatedly said that holding the Tokyo Olympics would be “proof of humanity overcoming the coronavirus.” However, once that became unrealistic, he was reduced to making abstract statements such as “having a Games that is safe and secure” or “taking thorough measures against infections.”
菅義偉首相は昨年9月の就任以来、東京オリンピックの開催は「人類がコロナウイルスを克服した証拠」だと繰り返し述べた。しかし、それが非現実的になると、彼は「安全で安心なゲームを持っている」または「感染に対して徹底的な対策を講じる」などの抽象的な発言をすることになりました。
日本の菅総理大臣は、東京オリンピックの開催が「人類がコロナウイルスを克服した証拠(proof of humanity overcoming the coronavirus)」になると言っていました。
でも、オリンピックの開催が迫ってきて、それが難しくなると抽象的な発言(abstract statements)をすることになった。
それは、「安全で安心なオリンピックを開催する」とか「感染に対して徹底的な対策を講じる(taking thorough measures against infections)」などの発言でした。
発言の内容が、だんだん変わってしまっていった。
これでは、みんなが聞こうというようには思わなくなってしまいます。
The central government’s go-to excuse that “Tokyo is the organizer,” could no longer hold water. The decision to postpone the Games for a year was made by then Prime Minister Shinzo Abe. It should have been Suga taking the lead in stressing the significance of holding the Games in a situation where the pandemic was not yet contained.
「東京は主催者だ」という中央政府の言い訳は、もはや信頼することができなかった。大会を1年間延期するという決定は、当時の安倍晋三首相によってなされた。パンデミックがまだ封じ込められていない状況で大会を開催することの重要性を強調するのは、菅が主導権を握っていたはずです。
「主催者は東京都だ」という発言は、政府の言い訳(government’s go-to excuse)のように聞こえました。
もはや、信頼できるものではなくなってしまった。
“hold water”は、直訳すると「水を保持する」ですが、「信頼できる、筋を通している」などの意味があります。
そもそも、1年前に1年間の延期を決めた(the decision to postpone the Games for a year)のは、政府の安倍首相でした。
それを、直前になって、「決定権は東京都にある」というような発言をしたのでは、信頼がなくなってしまいます。
Like Suga, Tokyo Gov. Yuriko Koike also repeatedly talked about “holding a safe and secure Games.” The value of holding the Olympics seemed to finally seep into the public psyche when the athletes embodied their determination to overcome the obstacles. The politicians were saved by the Olympic athletes.
菅と同様に、小池百合子東京都知事も「安全・安心な大会の開催」について繰り返し語った。 オリンピックを開催することの価値は、アスリートが障害を克服するという決意を具体化したときに、ようやく国民の精神に浸透したように見えました。政治家はオリンピック選手によって救われました。
菅総理と同じように、東京都知事も「安全・安心な大会の開催」について繰り返し語った(repeatedly talked)。
オリンピックを開催することの価値(the value of holding the Olympics)は、アスリートが障害を克服するという決意が具体化した(the athletes embodied their determination)ときに、ようやく国民に伝わった。
それまでの政治家の言葉は、無責任だったので、オリンピックの開催の意義は国民に伝わらなかった。
アスリートたちが体現することによって、その価値がやっと伝わったのです。
政治家たちは、オリンピック選手たちによって救われたのでした(were saved by the Olympic athletes)。
It’s not over yet. The Paralympics start on Aug. 24. The motto of the Tokyo 2020 Games is “United by Emotion.” Political leaders need to convey the significance of holding such an event with strong messaging, so that the peoples’ feelings can be united in support.
まだ終わっていません。パラリンピックは8月24日から始まります。 東京2020大会のモットーは、「United by Emotion」です。政治指導者は、国民の気持ちを結集して支援するために、このようなイベントを強力なメッセージで開催することの意義を伝える必要があります。
大会はまだ終わっていません(it’s not over yet)。
パラリンピックは、8月24日から始まります。
東京オリンピックのモットー「感情によってつながる」というのを具現化するためにも、政治の指導者たちは、国民に理解される必要がある。
そのためには、強力なメッセージで開催することの意義を伝える必要がある(need to convey the significance of holding such an event with strong message)。
でも、何となく難しそうですね。
オリンピックで伝えられなかったのに、パラリンピックで伝えられるとは思えません。
今日の記事はここまで。
明日もまた、がんばります。
こうぷー
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