今日は、照ノ富士が横綱に昇進したというニュースを解読します。
4年ぶりぐらいのようです。
横綱の昇進。
またしても、モンゴルの人が横綱に昇進です。
でも、彼の場合は、一度大関になった後、序二段まで落ちてから這い上がってきたという稀なケースです。
とても、精神的に強い人だと思います。
では、記事を読んでいきます。
Terunofuji was promoted to yokozuna on Wednesday, taking his comeback from the depths of sumo’s lower divisions beyond his previous highest rank of ozeki to the top of the sport.
照ノ富士は水曜日に横綱に昇格し、相撲の下位部門の深さから、以前の最高ランクの大関を超えてスポーツのトップに戻った。
相撲の照ノ富士が横綱に昇進しました。
もともと大関だったのに、病気(糖尿病)と怪我(左ひざ)で序二段まで落ちたんですよね。
そこから再び這い上がって、横綱になったんだからすごいです。
この文では、”taking his comeback from the depths of sumo’s lower divisions”と表現しています。
「相撲の低い部門l(lower divisions)の深さから戻った」という意味ですね。
そして、以前の大関のランクを超えて(beyond)、相撲のトップになった。
The Japan Sumo Association unanimously decided to promote the ozeki during an extraordinary board meeting, after Terunofuji had a 14-1 record in the just completed Nagoya Grand Sumo Tournament. That single loss, to tournament champion yokozuna Hakuho, prevented Terunofuji from winning three straight basho.
日本相撲協会は、照ノ富士春雄がちょうど終えた名古屋大相撲で14勝1敗の記録を残した後、臨時理事会で大関が昇進することを全会一致で決定しました。トーナメントチャンピオンの横綱白鵬へのその単一の敗北は、照ノ富士が3連勝することを妨げました。
日本相撲協会は、全会一致(unanimously)で決定した(decided)。
臨時の理事会(extraordinary board meeting)で、照ノ富士が名古屋場所で14勝1敗で終えたことを受けて…。
英語はこのように、主語と動詞でまず「何をどうした」といういことを言ってから、後からいろんな説明を付け加えます。
唯一の敗北は、横綱白鵬に対するもの。
それで、優勝3連覇は逃しましたが、横綱昇進には十分な成績ということでしょう。
「唯一の敗北が妨げた」”that single loss prevented”と表現されています。
The 29-year-old, whose real name is Gantulga Ganerdene, is now the 73rd yokozuna, the first of the Reiwa era and the fifth from Mongolia.
本名がガントゥルガ・ガネルデンである29歳は、現在、令和時代の最初でモンゴルから5番目の73番目の横綱です。
本名(real name)が書かれています。
照ノ富士も、モンゴル人です。
最近の横綱は、モンゴル人の人がほとんどですね。
73代目の横綱(the 73rd yokozuna)になった。
令和時代(the Reiwa era)最初の横綱です。
29歳なんですね。
相撲取りの人は、落ち着いて見えるので、年齢がもっと行っているように見えます。
He will be listed opposite fellow Mongolian-born wrestler Hakuho in the banzuke ranking for the Autumn Grand Sumo Tournament starting Sept. 12 at Ryogoku Kokugikan in Tokyo.
彼は、9月12日に東京の両国国技館で開催される秋の大相撲の番付ランキングで、モンゴル生まれのレスラー白鵬の反対側にリストされます。
彼は、モンゴル生まれの相撲取りの白鵬の反対側にリストされます(will be listed opposite)。
両国国技館で開催される秋場所の番付で…。
横綱白鵬の反対側にリストされるというのは、西の1番上のに載るということ。
2人の横綱が両方ともモンゴル人だということです。
Terunofuji once fell from the ozeki rank, dropping all the way to the jonidan division, the second lowest of the sport’s six tiers, because of injuries to both knees among other issues.
照ノ富士はかつて大関から転落し、両膝の怪我などにより、6段の中で2番目に低い城二段にまで落ち込んだ。
Since the Showa era began in 1926, he is only the second wrestler promoted to yokozuna after losing the rank of ozeki. The first was Mienoumi in 1979.
昭和は1926年に始まって以来、大関の地位を失った後、横綱に昇進したのは2番目のレスラーに過ぎません。最初は1979年の三重ノ海剛司でした。
昭和以降(since the Showa era)、大関から陥落して(after losing the rank of ozeki)、横綱に昇進(promoted to yokozuna)したのは1人だけ。
それは、1979年の三重ノ海。
たぶん、三重ノ海の場合は、大関から陥落しても、関脇とかでとどまっていたと思います。
それを考えると、序二段まで落ちてから大関まで戻って、横綱になるのは相当な精神力だと思います。
精神的に、切れそうですよね。
それまで御付きがいたのが、御付きをする側にまで落ちてしまうんですから…。
The last yokozuna promotion took place following the New Year Grand Sumo Tournament in 2017, when ozeki Kisenosato was promoted.
最後の横綱の昇進は、大関稀勢の里が昇進した2017年の初場所に続いて行われました。
照ノ富士の前の最後の横綱昇進(the last yokozuna promotion)は、2017年の稀勢の里。
初場所の後に行われた(took place)。
もう、4年ぐらい横綱昇進がなかったということです。
横綱になるというのは、大変だということがわかります。
After the JSA’s decision, a messenger from the association delivered the news to the Isegahama stable Terunofuji belongs to in Koto Ward, Tokyo.
JSAの決定後、協会のメッセンジャーが東京都江東区にある照ノ富士春雄厩舎にニュースを届けました。
JSAの決定後(after the JSA’s decision)、照ノ富士に使者が出向いた。
昇進を届けるために。
いつもの光景ですね。
横綱になる力士が、どんな言葉で受けるのかが、いつも注目されます。
“I humbly accept the promotion,” Terunofuji said. “I will strive to improve my dignity and strength as a yokozuna by keeping my mind steadfast.”
「私は昇進を謙虚に受け入れます」と照ノ富士は言いました。 「心をしっかりと保つことで、横綱としての尊厳と強さの向上に努めていきます。」
記事では、「昇進を謙虚に(humbly)受け入れます。」と書いています。
そして、更に、「心をしっかりと保つことで(by keeping my mind steadfast)、横綱の尊厳と強さ(dignity and strength)の向上に努めます(strive)」と書かれています。
実際には、「不動心を心掛け、横綱の品格、力量の向上に努めます」と言ったようです。
これを意訳しているわけですね。
今日は、照ノ富士が横綱に昇進したという記事を解読しました。
明日もまた、頑張ります。
こうぷー
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