【Bizmates レベル5 解説】またまたフィリピン、靴屋さんの話!From Shoe Stores To Shopping Malls!

Bizmates ビズメイツ

3月になったけど、まだまだ寒いです。

英会話のトレーナーさんってフィリピン人の人が多いですね。

だから、今日みたいにフィリピンの話も多くなるんでしょうか?

今日の話の人も、僕は知らない人です。

また今日もフィリピン人のトレーナーさんを選んでいろいろ聞いてみようと思います。

まずは、格言のようなことばから…。

I don’t give up easily. I look for solutions to problems. I want to make things happen.

私は、なかなか諦めません。 私は問題の解決策を探します。 物事を起こしたい。

Henry Sy, Sr.さんのことばです。

フィリピンの事業家さんです。

華僑っていうのかな?中国系の人です。

ごくごく簡単な英語で、最後の言葉にPassionate(情熱)を感じますね。

では、ストーリーに入っていきます。

フィリピンで、SMさんを知らない人はいません。

彼の名前は何十年もフィリピン人の間ではお馴染みの名前です。

Older generations still fondly call it “Shoe mart” because that’s how the multi-billion dollar shopping mall chain started – a modest shoe store.

それ(控えめな靴屋)が数十億ドルのショッピングモールチェーンが始まった方法であるため、古い世代は今でもそれを「靴マート」と愛情を込めて呼んでいます。

数十億ドルのショッピングモールの始めは、控えめな靴屋からスタートだったということですね。

小さな靴屋からショッピングモールに至った。

そして、億万長者になったんですね。

Henry Sy, Sr., the founder, came from humble beginnings in a small village in South China. When he was 12, he immigrated to Manila with his father who ran two small retail stores.

創設者のヘンリー・シー・シニアは、中国南部の小さな村での謙虚な始まりから来ました。 彼は12歳のときに、2つの小さな小売店を経営していた父親と一緒にマニラに移住しました。

中国の南部からフィリピンに12歳の時に引っ越してきた。

最初は質素な生活だったんでしょうね。

2つの小売店を経営している父親と一緒に移住してきたわけです。

Towards the end of the Second World War, his father’s business was reduced to rubble. Henry’s father went back to China, but he chose to stay and eventually ventured into the business of buying and selling.

第二次世界大戦の終わりに向かって、彼の父の事業は瓦礫のように縮小されました。ヘンリーの父は中国に戻りましたが、彼は滞在することを選択し、最終的に売買の事業に乗り出しました。

戦争が終わるに向かって、父親の商売が立ち行かなくなってしまった。

そして、父親は中国に戻ってしまった。

でも、ヘンリーはフィリピンに残って、売買の事業を始めたということです。

そして、商売する商品は「靴」を選んだわけです。

During that time, when all the men of his age were pursuing higher education, Henry did things differently. He went to the US to gather business ideas that would later pave the way for shopping malls.

その間、同年代のすべての男性が高等教育を追求していたとき、ヘンリーは別のことをしました。 彼は後にショッピングモールへの道を開くビジネスアイデアを集めるために米国に行きました。

同世代の人たちが、大学へ行くなどしているときに、彼はアメリカに行った。

でもその目的は留学ではなかった。

彼が行く行く行うことになる、ショッピングモールのためのビジネスアイデアを集めるために…。

この辺が、商売に対する情熱があったということなんでしょう。

ヘンリーは、お客さまや商品の供給者や従業員から学ぶことにつかれることはありませんでした。

一生懸命、いろんな人から学びました。

And, with this hand-on attitude, he was able to discover the needs of the people around him.

そして、この実践的な姿勢で、彼は周囲の人々のニーズを発見することができました。

いろんな人から直接学ぶことで、彼らのニーズをキチンとは悪することができた。

His wise use of time and money slowly paid off over the years.

彼の時間とお金の賢明な使用は、何年にもわたってゆっくりと報われました。

すぐには報われないんですね。

何年もかかって、ゆっくりと報われる。

ここでの”pay off”は、「報われる」という意味です。

「(支払いが)完済する」という意味ではありません。

まぁ、遠い意味では努力に対して、それが完済されるというようなことではありますけど…。

He created a business empire that spans industries such as retail, banking, real estate, mining, hospitality, education and healthcare services.

彼は、小売、銀行、不動産、鉱業、ホスピタリティ、教育、ヘルスケアサービスなどの業界にまたがるビジネス帝国を創設しました。

ありとあらゆる事業を行ったわけです。

本当にすごい種類の商売です。

商売自体が好きなんだろうなぁ。

There’s a lot to learn from the man’s story, but there’s more to learn from his passion for success.

この人の話から学ぶことはたくさんありますが、成功への情熱から学ぶことはもっとあります。

そうですね。

これだけ、いろんな事業をする情熱はすごいと思います。

Royさん曰く、彼が成功したのには理由があると…。

それは、彼の店にはAir conditionerがあったことらしいです。

フィリピンは暑いので、彼の店にみんな行った。

涼みに行ったんらしいですね。

だから、彼の店は流行ることになったみたいです。

In what ways did Henry Sr display his passion for business success?

Henry Srは、ビジネスの成功に対する情熱をどのように示しましたか?

みんなが高等教育を受けているときに、アメリカに行ってビジネスアイデアを集めていたことと、

お客さまや商品の供給元や従業員の言うことをよく聞いたことでしょうか?

そんなことを答えたいと思います。

He went to the US to gather business ideas that would late pave the way for modern shopping malls, when all the men of his age were pursuing high education. And he tirelessly learned from his customers, suppliers and employees. Such behavior is displayed his passion for business success, I think.

彼は、同年代のすべての男性が高等教育を追求していたときに、現代のショッピングモールへの道を遅らせるビジネスアイデアを集めるために米国に行きました。 そして、彼は顧客、サプライヤー、従業員から絶え間なく学びました。 そのような行動は、彼のビジネスの成功への情熱を表していると思います。

この答えでよかったようです。

Royさんは、”Prefect!”と言ってくれました。

次の質問に行きます。

Would you trade pursuing higher education for starting a business? Why?

あなたはビジネスを始めるために高等教育を追求することと交換しますか? それはどうしてですか?

いやぁ。やらないですね。

安全志向なんで…。

かなりの自信と勇気と情熱が必要だと思います。

そんなことを答えようと思います。

I would not trade pursuing higher education for starting a business. If I forgo pursuing higher education, it means that I have to decide I conduct a business by myself.

私はビジネスを始めるために高等教育を追求することを交換しません。 高等教育をやめたら、自分で事業をやろうと決心しなければなりません。

日本社会では、まだまだ学歴を重視する傾向があります。

その傾向がある限りは、それと交換にビジネスを始めるというのは、相当な勇気が必要です。

「重大な決断」と言いたかったのですが、言葉が出てきませんでした。

”big decision”とか”significant decision”でいいんですね。

こんな言葉も、すっと出てこないときはまだ出てこないです。

次の質問に移ります。

Is entrepreneurship more important than education in your country?

あなたの国では、起業家精神は教育よりも重要ですか?

さっきの話と同じですが、日本は、まだまだ学歴社会だと思います。

そういう意味では、起業家精神より教育の方が重要視されていると思います。

でも、徐々に変わりつつある。

そんなことを答えられればいいかと思います。

In Japan, education is still more important than entrepreneurship, I think. But the situation is gradually changed and the person’s actually potential is becoming more important than education these days.

日本では、起業家精神よりも教育の方が重要だと思います。 しかし、状況は徐々に変化しており、最近では教育よりも人の潜在能力が重要になっています。

Royさんも「最近は、IT業界を中心にentreprenauesな若い人たちが増えているよね?」と言っていました。

次の質問に行きます。

Share a popular rags-to-riches story in your country that’s based on passion.

情熱に基づいた、あなたの国で人気のあるぼろきれから金持ちへの物語を共有してください。

誰でしょう?

やっぱり、ソフトバンクの孫正義さんですかね?

高校で単身でアメリカに行って、コンピュータの勉強をして帰ってきた。

そして、ソフトバンクを設立していまや日本2位の資産を持つまでになった。

Mr. Son is very famous entrepreneur in Japan. He grew up in poor family. When he was high school student, he decided to go to the US trading his Japanese education. He studied at US university about computers and after coming back Japan, he established Soft-bank. He expanded the business, finally he became the second largest asset holder in Japan.

孫さんは日本でとても有名な起業家です。 彼は貧しい家庭で育ちました。 高校生の時、彼は日本の教育を交換してアメリカに行くことを決心しました。 アメリカの大学でコンピューターを学び、帰国後ソフトバンクを設立。 彼は事業を拡大し、ついに日本で2番目に大きな資産保有者になりました。

どうでしょうか?

要約できているかな?

Royさんに理解してもらえるでしょうか?

Royさんは日本のこともある程度知っているみたいで、理解をしてくれました。

今日の話題のHenry Sy, Sr.さんは、本当にフィリピンでは大富豪だそうです。

相当な資産があるそうで、彼は2019年に亡くなってるんですが、6人の子供に資産を分配しても、6人ともフィリピンの資産番付トップ10に入っているそうです。

相当な資産家ですよね。

最後の質問です。

Share an experience where you had to go against the norm because of passion.

あなたが情熱のために規範に反しなければならなかった経験を共有してください。

またまた、難しい質問です。

基本的に僕は感情的ではないので、そんなことが少ないのですが…。

どんな経験があるだろうか?

本当に若いころに、自分の仕事が終わっても、若い社員はみんなが仕事が終わるまで待っていないといけない雰囲気がありました。

実際に上司にも、そのように言われたのですが、僕は仕事が終わっているのに残るということが納得できなくて、さっさと帰っていたことがあります。

そんなことを説明しようと思います。

Used to be, when I was very young business person, everyone should have remain still in office until all of members finish their job. But I couldn’t accept this unspoken rule, so I ignored this rule and went back home after I finished my job. I had some passion I wanted to do something what I want after work.

私が非常に若いビジネスパーソンだった頃は、メンバー全員が仕事を終えるまで、全員がオフィスにいなければなりませんでした。 しかし、私はこの不文律を受け入れることができなかったので、私はこの規則を無視し、仕事を終えて家に帰りました。 仕事の後にやりたいことをやりたいという情熱がありました。

生意気でしたけどね。

残業代も発生するのに、みんな一緒に待たないといけないのが納得いかなかったですね。

そんなことぐらいですかね。

規範のようなものに反したことをしたのは…。

Royさんもちょっと驚いていましたね。

どうして、そんなことをしないといけないのか?って。

日本でも、最近はWork & Balanceが言われるようになって、こんなことはなくなったと思います。

最後にRoyさんのフィードバックです。

You live a new life for every new language you speak. If you know only one language, you live only once. – Czech Proverb

A blessed Tuesday! Let us have more lives to live. Let us broaden our horizons. Let us learn more cultures. Let us continue honing our communication skills. Let us continue to practice and achieve our goals. Let me Thank You for the trust and opportunity.

あなたはあなたが話すすべての新しい言語のために新しい生活を送っています。 あなたがたった一つの言語を知っているなら、あなたは一度だけ生きます。 -チェコのことわざ

祝福された火曜日! もっと生きていきましょう。 視野を広げましょう。 もっと文化を学びましょう。 コミュニケーションスキルを磨き続けましょう。 引き続き練習し、目標を達成しましょう。 信頼と機会をありがとうございました。

最近、Royさんはいろんなことわざをフィードバックに入れてくれます。

チェコは多言語国家なのかな?

ヨーロッパの人はいろんな国のことばを話せる人が多いですね。

周囲の人とコミュニケーションをするのにも、いろんな言語が必要だからかもしれません。

今日もたくさん話をすることができました。

明日も頑張ります。

こうぷー

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