ついに来ましたね。
TOYOTAの話。
TOYOTAって、そもそもTOYODAさんですよね。
愛知県も豊田市(とよだし)だし…。
でも、アメリカに進出するときにトヨタにしたらしいです。
しかも、もともとは織り機メーカーだったんです。
今も豊田自動織機(とよたじどうしょっき)って会社がありますよね。
これがトヨタグループの本家・源流にあたるらしいです。
そんなことで、今日は豊田の創始者豊田佐吉さんの話です。
まずは、格言のような言葉から…。
窓を開け。そうすれば、そこに大きな世界がある!
という感じでしょうか?
まぁ、これだけ世界的な企業になったわけですから、説得力がありますよね。
そんな豊田の創業期の話が今日のテーマです。
では、ストーリーに入っていきます。
明治時代の日本。 豊田佐吉という青年がひらめきました。 彼は「社会に貢献したいという強い野心」を持った男だと言われました。
昔の人って、そういう人が多いですよね。
自分のためにとか、家族のためにとかじゃなくて、お国のためにとか、社会のためにとか…。
豊田佐吉青年もそういう人だったようです。
彼は、西洋文明が機械に基づいていて、そして、これは、すぐに世界の他の地域を支配する必然的なプロセスだということに気付きました。
西洋文明の機械化が、やがて全世界を支配することを見越していたわけです。
そして、自分自身で機械の改善をすることに興味を持っていきます。
豊田は自ら機械に強い関心を持っており、地元の家族が織物を織る手織り機の効率向上に目を向けました。
まずは手織り機の改善から始めたわけです。
自分の周りにあったからでしょうかね。
近所の農家の織り機を改善したんですね。
行く行く、自動車にまで行きつくのですが、まだまだ遠いですね。
試行錯誤と機械のしくみの研究を通じて、豊田は最初の発明である、両手ではなく片手で操作できる木製の手織り機の特許を取得しました。
さっそく、まずは木製の手織り機の特許を取りました。
それは、効率的ではあったものの、まだまだ手動で動かす機械でした。
もっと発展させるわけですね。
その後、豊田は力織機の開発に目を向けたが、問題がありました。それは発明を進めるための資金が必要だったということです。
やっぱり、先立つものは金ということです。
さらに発明を進めるためには、資金が必要だった。
そしてどうしたのか?
豊田佐吉の解決策は:小さな工場を立ち上げ、より革新的な機械を発明することでした。
そして、4年間事業に成功し続けたあと、豊田佐吉はとうとう自動織り機を開発する資金を手に入れました。
堅実ですよね。
まず小さな工場でスタートして、事業を成功させて、資金をためる。
今のトヨタと似ているんじゃないですか?
トヨタって、あまり借入金をしないんじゃなかったでしたっけ?
無借金経営としても有名ですよね。
新しい機械は非常に効率的だったため、生地の品質と工場の生産性が大幅に向上しました。
すごいですね。
自動だから当然なのかもしれませんが…。
品質も生産性も同時に向上すれば、事業としては大成功でしょう。
こんな風だから、豊田佐吉の会社は全世界的に成功をおさめます。
それはすべて、彼の社会に貢献するという強い必要性から始まり、完璧を求める容赦ない探求によって支えられました。
いろんな面で厳しいですよね。
“KAIZEN“というのは、外国でも通じる言葉になりましたからね。
トヨタのおかげで…。
なかなか、興味深い話でした。
では、質問に移っていきます。
今日のトレーナーさんはNeilさんでした。
いつもどおり、話題が豊富なので、話題が盛り上がります。
特にTOYOTAの話なので、いろいろ話ができそうです。
まず第1問です。
豊田佐吉はどのようにして最初の発明を完成させたのですか?
ストーリー中にあった話を要約すればいいでしょうか?
まず、機械に興味を持った佐吉青年は農家の手動の織り機を改良します。
そして、機械の仕組みを研究した後、最初の特許を取得しています。
そんなことを答えてみようと思います。
彼は機械自体に大きな関心を持っており、手織り機の効率を改善し、試行錯誤を繰り返し、機械の仕組みを研究した後、最初の発明の特許を取得しました。
Neilさんもこ