
人生が思ったように進まないとき、
「正しいことをやっているはずなのに、なぜうまくいかないのか」
そんな疑問を抱いたことはないでしょうか。
仕事でも、トレードでも、人間関係でも、
本質的には間違っていない。
むしろ、かなり真剣に考えている。
それでも、現実はなぜか噛み合わない。
私は長いあいだ、
その違和感を「自分の努力不足」や
「まだ正しさが足りないからだ」と考えてきました。
けれど、いくつもの挫折を通じて、
ようやく気づいたことがあります。
問題は、正しさそのものではなかった。
正しさを扱うときの、自分の「状態」だった のだと。
なぜ私は、
結果よりも、方法よりも、
「整うこと」を人生の最優先にするようになったのか。
その理由を、
仕事・トレード・人生の経験を通して、
静かに整理してみたいと思います。
ただ私は、
この世界の不確かさを引き受けたうえで、
どこに視点を置いて生きているのかを、
一度、言葉にしてみたいと思いました。
なぜ私は「整うこと」を人生の最優先にしているのか
私は、
正しいことが分かると、そこへ まっすぐに行くべきだ と考えてしまう性格です。
合理的に考えれば、
本質が見えているなら遠回りをする理由はない。
正解が分かっているなら、迷う必要もない。
そう思っていました。
けれど、仕事でも、トレードでも、人生でも、
現実はその考え方を何度も裏切りました。
正しさが分かっても、世界は直線では動かない
トレードの世界では、
価格は最終的に需給という本質に帰結します。
この前提自体は、今も変わっていません。
しかし現実の相場では、
需給とはまったく別の論理で動く人たちがいます。
テクニカル、踏み上げ、損切り、マージンコール。
大量の資金を使い、別の意図で価格を動かす投機筋。
最終的には本質に戻る。
けれど、そこへ至るまでには、
大きなズレと、長いタイムラグが生じることがある。
私はそのズレに、耐えられませんでした。
「本質は分かっているのに、なぜ行かないのか」
「正しい方向が見えているのに、なぜ逆に動くのか」
そう考えるほど、
より正しさを証明しようとして、
トレードに深く突っ込んでいきました。
結果として、それが大きな挫折につながりました。
仕事でも、同じ構造が繰り返されていた
会社の仕事でも、同じことが起きていました。
私は、問題の本質を見つけると、
そこに向かって一直線に進もうとします。
けれど、周りの人たちは必ずしも、
その「正しさ」を同じように理解しているわけではありません。
立場、メンツ、これまでの経緯、
人間関係や感情のしがらみ。
本質とは直接関係のない調整に、
想像以上の時間と労力がかかる。
それが受け入れられず、
「なぜ分からないのか」
「なぜ正しいことをやらないのか」
そう考えるほど、摩擦や軋轢が生まれていきました。
正しさに執着するほど、余裕を失っていた
振り返ると、
トレードでも、仕事でも、人生でも、
共通していたのは 私自身の状態 でした。
余裕がない。
正しさに執着している。
別の考えを受け入れる余白がない。
整っていない状態では、
正しさは「基準」ではなく、
いつの間にか「武器」になります。
相手が間違っていることを証明したくなる。
自分が正しいことを、早く結果で示したくなる。
けれど世界は、
こちらの速度には合わせてくれません。
私にとって「整う」とは、諦めることではない
私が考える「整っている状態」は、
前向きでも、楽観でもありません。
静かで、
「間違っているけれど、そういうものだ」と思えていて、
「分からない状態が一時的に続くのも仕方がない」と受け入れている。
世界が正しくないことを、
否定も、怒りもせずに見ていられる状態。
整うとは、
正しさを捨てることではありません。
正しさを急がない という選択です。
だから私は、整うことを最優先にしている
世界は、私の速度では動かない。
最終的には正解でも、すぐには分からない。
回り道をする時間と、
ズレを許す余裕を、
こちらが先に持たなければならない。
それを何度も失敗して学びました。
だから今、私は、
結果よりも、正しさよりも、
まず 整っていること を最優先にしています。
整っていなければ、
どんな正しさも、自分を壊すからです。
整うとは、正しさを疑わずにいられる状態のこと
私にとって「整う」とは、
落ち着くことでも、気分をよくすることでもありません。
もっと正確に言えば、
世界が自分の思う速度で動かなくても、
正しさそのものを疑わずにいられる状態 のことです。
整っていないとき、私は焦ります。
余裕を失い、
「なぜ分からないのか」
「なぜ通らないのか」と、
世界に答えを求めてしまう。
その結果、
正しさを証明しようとし、
正しさを押し通そうとし、
いつの間にか、自分自身を削っていました。
けれど、整っているときは違います。
世界にはズレがある。
タイムラグがある。
人は、それぞれ別の前提で動いている。
それを知識としてではなく、
感覚として受け入れられている。
だから、
正しさを急がなくていい。
証明しようとしなくていい。
世界が追いつくまで、回り道を許せる。
整うとは、
正しさを諦めることではありません。
むしろ逆で、
正しさを最後まで信じ続けるための土台
なのだと思うようになりました。
「整おう」として、かえって苦しくなった時期もありました。
結びにかえて
私は、成功するために整っているのではありません。
正しさを疑わず、
自分を嫌いにならず、
この人生を歩き切るために、整っていたい。
判断の軸を「結果」から「状態」に移す、もう一つの視点。
世界は、必ずしも正しくできていない。
それでも、
正しさが無意味になるわけではない。
その間に立ち続けるために、
私は今日も、整うことを選んでいます。






























































































































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