【Bizmates レベル5 解説】日本人起業家がイチゴ農業を改革する話!

Bizmates ビズメイツ

イチゴっておいしいですよね。

冬がシーズンでしたっけ?

でも、最近はいつでも食べられます。

今日は、東日本大震災の後にイチゴの生産をITと絡めて発展させた、日本の若い起業家さんの話みたいです。

トレーナーさんはNeilさんです。

実は昨日のフィリピンの大富豪の話の時にトレーナーとして予約したかったんですけど、取れなかったんですよね。

人気があるトレーナーさんです。

話題も豊富なので、いつもいろんなことに話が膨らみます。

今日もまた格言のようなことばから…。

Revitalization is not a word describing what we ought to be doing. It’s the creation of something out of nothing.
再生は、私たちがすべきことを説明する言葉ではありません。 それは何もないところから何かを作り出すことです。

この英文、難しいですね。

シンプルに理解することができません。

でも、何もないところから何かを作り出すのは、難しいことです。

なんでも、ゼロから1を作り出すのは本当に苦労します。

そんなことを言っているのでしょうか?

震災で、東北地方はすべてがなくなってしまうような状況がありました。

再生というのは、そんな中から何かを作り出すということを言いたいのかもしれないですね。

このことばは、岩佐大輝さんという人が言ったことです。

僕は、この人のことはあまり知りませんが、今日のストーリーで理解することになると思います。

Neilさんから、日本で有名なイチゴの産地はどこか?と聞かれました。

どこでしょうかね?

いろんなところに産地があると思います。

”Strawberries are produced everywhere in Japan.(いろんなところで作られているよ)”と答えました。

「日本は寒い時期があるし、イチゴを作るにはいい気候だよね。」とNeilさんは言っていました。

後で、調べてみたところ、栃木と福岡の生産量が多いみたいです。

栃木は「とちおとめ」、福岡は「あまおう」です。

この2つの産地で、日本のイチゴの約3割の生産をしています。

では、ストーリーに入っていきます。

After the 2011 tsunami that devastated Japan, many people were left homeless, jobless, and uncertain about the future. One of the hardest hit areas was Miyagi, a tranquil place known for its luscious strawberries.
日本を壊滅させた2011年の津波の後、多くの人々が家を失い、失業し、将来について不安を感じていました。 最も被害が大きかった地域の1つは、甘美なイチゴで知られる静かな場所であるミヤギでした。

宮城県って、イチゴの産地でしたっけね?

あんまりその印象がないです。

2011年の東日本大震災では、確かにいろんな人たちが将来への不安を抱えていました。

宮城もその被災地の一つでした。

みんながすべてを失ってしまった。

そして、その宮城はイチゴで知られる静かな場所だった。

For IT entrepreneur Hiroki Iwasa, that place was also known as home. At that time, Hiroki was living in Tokyo managing his start-up, yet upon news of the disaster, he quickly returned home to aid in relief efforts while simultaneously discovering the next chapter of his life.
IT起業家の岩佐大輝にとって、その場所は故郷としても知られていました。 当時、大輝は東京に住んでスタートアップを管理していましたが、災害のニュースを受けてすぐに帰郷し、救援活動を支援すると同時に、人生の次の章を発見しました。

岩佐さんは、もともと、IT起業家だったんですね。

東京で起業をして暮らしていたんだけれども、震災を受けて、すぐに宮城に帰郷した。

そして、救援活動をすると同時に人生の次の仕事を発見したわけです。

“simultaneously”は「同時に」という意味です。

難しい単語です。

The agricultural business had been in slow decline for many years as more and more young people were leaving rural prefectures like Miyagi for big-city dreams.
大都市の夢を求めて宮城県などの地方を離れる若者が増える中、農業事業は長年ゆっくりと衰退していた。

震災の前から、農業から若者が遠ざかる傾向は日本の全国的な流れでした。

若者は、都会に夢を求めて出ていって、地方の農業はじわじわと衰退して行っていた。

そんな中で起こ