今日は本田宗一郎の話です。
僕が大学生とかの頃、F1がすごいブームでした。
その頃強かったのがマクラーレンホンダ。
毎年、コンストラクターズチャンピオンになっていました。
めっちゃ強かったですよね。
いつもマクラーレンホンダのチームメイト2人がドライバーズチャンピオン争いをしていました。
一方で、ビジネス書でも本田宗一郎は定番ですよね。
本田宗一郎と藤沢武夫。
名コンビとしても有名です。
今日は、そんな本田宗一郎の話みたいです。
今日のトレーナーさんはCliffさんです。
久しぶりのレッスンなので楽しみです。
では、格言から始めます。
挑戦と失敗を恐れる代わりに、挑戦を避けて何もしないことを恐れてください。
本田宗一郎のことばです。
まぁ、本田宗一郎らしいですよね。
いろんなことにチャレンジし続けた人らしい言葉です。
世界でも有名なんですかね?
ホンダは有名です。自動車メーカーとして。
Royさんにもどんな風に思うか?って聞かれました。
納得できるし、本田宗一郎らしい言葉だなぁと思うって答えました。
では、ストーリーに入っていきます。
第二次世界大戦後、自動車産業は日本の他の多くの人々と同様に大きな打撃を受けましたが、本田宗一郎はこれをきっかけに、1946年に浜松に技術研究施設を設立しました。
そうですね。
日本は、第二次世界大戦後、すべての産業が大きな打撃を受けました。
そこから、日本の企業はドンドン復興するわけですが…。
本田宗一郎はこれをチャンスと捉えたわけです。
そして、技術研究所を設立しました。
2年後、ホンダ自動車会社は誕生し、後にカリフォルニア州ロサンゼルスに支店を設立し、最終的には世界でトップ10の自動車メーカーの1つになりました。
わりと早くにアメリカに支店を設けたんですね。
世界で売り込む気が満々です。
この辺も日本の企業にしては、チャレンジ精神があります。
トヨタなんかだいぶ先じゃないでしょうか?
アメリカ進出したのは…。
日本では、相当のシェアを持っていましたけどね。
トヨタは堅実って感じですか。
一方でホンダはチャレンジ精神があふれている。
ホンダは、不可欠で効率的な輸送手段を生み出しました。それは原動機付自転車でした。そしてこの革新により、1970年代に同社は世界最大のバイクメーカーになりました。
ホンダカブが有名ですよね。
これで、日本も世界も淘汰したイメージがあります。
スーパーカブは本当に当時にしては、効率的だったと本で読んだ記憶があります。
そんな風にして、まずはバイクメーカーとして世界に名を馳せました。
彼は限界を押し広げ、2ストロークエンジンをさらに開発して自動車製造に乗り出しました。
バイクと自動車のエンジンは根本的には違うんでしょうか?
なんか、別々のもののような気がします。
それでも、ホンダは限界を押し広げて、さらに自動車製造に乗り出しました。
彼の最初のモデルはアメリカ市場ではあまりうまくいきませんでしたが、排出量の少ない低燃費エンジンを製造するとすべてが変わりました。
やっぱり、最初は失敗するんですね。
それでも頑張って開発をして、ついに低燃費エンジンを製造すると、すべてが変わりました。
それが、最初のホンダシビックの製造につながります。
シビックって、リーズナブルな価格のイメージですよね。
それでも、高性能。
そんな車を作ることができたんですね。
彼の成功にもかかわらず、ホンダは彼の情熱を追求することをやめませんでした。
シビックだけにはとどまらなかったわけです。
次には、どんな車を作るんでしょうか?
彼はアメリカやヨーロッパの高級車メーカーと競争することで業界内で発展させ続けるため、アキュラという名前で紹介された高級ラインも製造しました。
日本車と言えば、当時は小さくて燃費がいいリーズナブルな車というイメージだった。
ホンダはそれだけでは飽き足らず、高級車にも乗り込んでいった。
大変なチャレンジ精神です。
ホンダは、これまでにそれを手に入れた最初の日本の自動車メーカーになりました。
やはり、そうだったんですね。
日本国内では、トヨタの方がシェアが圧倒的に多かったのに、アメリカではホンダが先行したんですよね。
それには、今日のストーリーのようなチャレンジ精神が関係していたわけです。
現在、ホンダは宗一郎の心と情熱を体現し続けています-日本と世界の自動車産業を形作るために彼らの車をたゆまぬ革新と改良をしています。
本田宗一郎が亡くなった現在でも、ホンダは、その情熱を持ち続けているということです。
最近、アマゾンプライムでマクラーレンホンダの復活の話を見ましたが、明らかに失敗していました。
ホンダが悪者にされているような感じで制作されていました。
でも、ネットで読むと、マクラーレン側に問題があったようにも読めました。
ホンダの魂はまだ残っていることを信じたいところです。
今日のストーリーはここまでです。
本田技研工業はどのようにして生まれたのですか?
これはストーリーの中に答えがありました。
第二次世界大戦後、いろんな産業が大きな打撃を受けているなか、本田宗一郎がチャンスだと思って、創設したのが本田技研工業です。
これを答えられればいいと思います。
第二次世界大戦後、日本では多くの産業が大きな打撃を受けましたが、本田宗一郎はこれを技術研究施設設立の機会ととらえ、1949年に本田技研工業を設立しました。
ストーリーの内容を要約してみました。
Royさんには、”Perfect!”って言ってくれました。
次の質問に移ります。
ホンダは自動車産業にどのような進歩をもたらしましたか?
これもストーリーの中に書かれてました。
ホンダはまず効率的な原動機付自転車を開発した後、進化した2ストロークエンジンの車を製造した。
その後、燃料効率が良くて排気が少ないエンジンを開発して、それがのちにシビックになった。
そのようなことを答えればいいと思います。
まず、ホンダは1970年代に効率的な原動機付自転車を開発し、限界を押し広げ、さらに2ストロークエンジンを開発して自動車製造に乗り出しました。 その後、排出ガスの少ない低燃費エンジンを製造し、初のホンダシビックを誕生させました。
受験的な回答としては、間違ってないと思います。
Royさんは、答えとしてはOKだといってくれました。
ところで、Toyotaには”Kaizen(カイゼン)”で有名だけれども、Hondaにも何かメソッドがあるのか?と聞いてきました。
僕は、やっぱり”Challenge & Innovation”だろうと答えました。
今日のストーリーじゃないけど、こんなことが彼らのメソッドなんだと思います。
次の質問に行きます。
すべての競争相手と新製品が発売されるなかで、企業はどのようにすれば長く生き残ると思いますか?
それはもう、お客さまのニーズと需要をキチンと理解して、それにあった商品やサービスを提供し続けるということだと思います。
そのような内容を答えようと思います。
会社は常に顧客のニーズと要求を正しく理解して追いつき、ニーズと要求に合った製品やサービスを提供する必要があります。 会社がそのような努力を続ければ、それは長い間生き残ることができるでしょう。
どうでしょうか?
答えとしては、正しいと思います。
Royさんも答えとして問題ないと言ってくれました。
次の質問、行きます。
特定の製品またはサービスのパイオニアであることは、成功を達成するために重要ですか? なぜそう言うのですか?
まず先頭を走るということは、競争において有利であるということができると思います。
何故なら、最初に作ったものがスタンダードになるからです。
そんなことを答えようと思います。
あるカテゴリーのパイオニアであることにはメリットがあると思います。 パイオニアの製品やサービスがこのカテゴリーの標準になるからです。 ですから、パイオニアであることは、何かを成功させるために本当に重要です。
パイオニアであることが、成功するために重要であることを説明できていると思います。
Royさんは、この答えにはすごく納得してくれました。
そして、Philippineでも最近、このようなことが起こったそうです。
1つの商品が先行して、規則や決まりを作り、後の商品はそのルールに従わないといけなくなる。
そんな状況が起こっているそうです。
だから、パイオニアにはアドバンテージがあると思います。
最後の質問に移ります。
あなたの会社が過去に立ち上げて失敗した製品/サービスについて考えてみてください。 この古い製品をどのように革新し、上司に提案を検討するよう説得しますか?
あんまり、思い浮かばないんですが…。
失敗したサービスですか…。
昔、空港を見学して回るツアーがあったんですが、開港時のブームが去った後はあまり流行らなくなってしまいました。
このサービスについて、説明してみようと思います。
かつては空港のツアーサービスを行っていました。 空港開港日以降、多くの方にご参加いただきましたが、日ごとに参加者が減っていきました。 ですから、このサービスの革新を命じられたら、海外の人たちのためにこのツアーを作ることを提案します。 特に中国語の通訳に乗ってこのツアーを続けることで、このツアーの乗客が再び増える可能性があります。
ちょっと難しい質問でした。
何とか回答をできたと思います。
Royさんも、そんなサービスがあったら外国人は利用するだろうと言っていました。
他の空港でそんな話を聞いたことがないと…。
今日はここでタイムアップ。
今日も相当いろんなことを話すことができました。
特に今日は僕の調子が良かった。
結構、スムーズにことばが出てきました。
明日もまた頑張ろうと思います。
こうぷー
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