毎日生きていくうえで、ときに、
- 自分はきちんと自分の思い通りに生きているんだろうか?
- これが正しい生き方なんだろうか?
- こんなことをやっていていいのだろうか?
と考えることがあると思います。
最近、僕は順調に毎日を過ごしています。
でも、順調でありながらも、やっぱり、今、自分が正しい方向に進んでいるのかを考えることもあります。
これらの回答は、たぶん自分がどのような人になりたいか、ということを真剣に考えることで得られるのだと思います。
正しい目標を立てることで初めて、正しい生き方ができるのだと思います。
そこで、今日は「よりよい人生を生きるためには、どんな自分になりたいかを真剣に考えてみる」というテーマで書いてみようと思います。
7つの習慣の第2の習慣
スティーブン・コヴィーの7つの習慣の第2の習慣に「終わりを思い描くことから始める」というのがあります。
この7つの習慣という本は、全世界3,000万部、日本でも累計200万部を売り上げを誇る大ベストセラーの本です。
この本の中で、スティーブン・コヴィーは、
「よりよい人生を生きるためには、人生の目標が必要。
その人生の目標を決めるときには、自分が死んで棺桶に入っている時を想像しなさい。
そして、その時にあなたの葬儀に参列する人にあなたがどんな内容の弔辞を読んでほしいか?
どのように自分のことを言って欲しいか?ということを考えて、自分の人生の目標を決めなさい。」
と言っています。
とても面白い考え方だと思います。
そして、とても正しい考え方でもあると思います。
自分が死んだときというのは、まさしく自分の人生の最終到達点です。
そして、「その時に周りの人にどのように言われるか」というのは、自分の人生に対する、自分自身の評価ではありません。
そうではなくて、「自分がどのように生きてきたと他の人に見えているか」という自分の人生に対する他人の評価、周りの評価です。
これを考えるということは、まさに自分のゴールをどこに設定するか?ということにとても有効だと思います。
そして、スティーブン・コヴィーは、自分の人生の目標を決めた後に、ミッション・ステートメントを作るように言っています。
これは「自分の憲法」のようなものです。
実際に「自分の憲法」という文章を作ることによって、判断を迷うようなことがあった場合にこの自分の作った憲法に基づいて判断をして行くことができます。
例えば、「家族を大切にした人」だと死んだときに言われたいとします。
そしてミッション・ステートメントは「家族を第一優先にして生きる」と作ったとします。
その後、会社から海外赴任を言われたとした場合に、どのように判断するのか?
実際にはそれぞれの家族の考え方にもよると思いますが、「家族のことは奥さんにまかせて、単身赴任する」のか。
それとも、「家族との時間を大事にしたいので、海外赴任を断る」のか。
あるいは、「家族も同行してもらえるように頼む」のか、等々、いろんな方法があると思います。
ですが、どのようにするのかを考える場合に、自分の目標が「家族を大切にした人」なのであれば、常に自分が死んだときに「家族を大切にした人」と言ってもらえることを考えて、自分の行動を選択し続けるということです。
そうすることで、たぶん自分が最終的に望む方向に進んでいくことができるのだと思います。
目標を定めないのは、地図なしで歩いているようなもの
これも、よく言われることですが、目標をきちんと決めないで何かを行うということは、地図を持たずにただ歩いているようなものです。
別の言い方で正確に言うと、地図を持っていても、行先を決めずにただ歩いているのと同じだということだと思います。
行先を決めずにいくら歩いていても、そりゃ目的地にたどり着くことはありません。
人生も同じことだと思います。
人生の目的地を決めていなければ、その目的地にたどり着くことはありません。
だって目的地がないのですから。
ですから、先ほど書いた通り、自分が死んで棺桶に入ったときに、どのように言われたいかということを真剣に考えて、目的地を決めるべきです。
そうすれば、少し迷うことがあっても、トータルとしてその目的地の方向に進んでいくことができます。
また、その目的地の方向も、できるだけ早く決めたほうがいいでしょう。
修正は早いほうが効きやすいです。
それまで仕事最優先で家族に迷惑ばかりかけていた人が、死ぬ間際になって「家族を大事にする人だと言われたい」といっても、ムリです。
本当にそのように思うのなら、もっと若いうちからちゃんと目標を定めて、その目標に向かうような行動を日々取るべきなんだと思います。
僕の場合
僕は、死んで棺桶に入ったときに、周りの人から「自分のことは差し置いてでも、なんでも大事な人のことを優先する、周りの人のことを大事にする人だった」と言われたいと思っています。
自分がそのように思っていると分かったのは、実はスティーブン・コヴィーの本を読んで考えたからではありません。
最近、息子にこう言われたからでした。
「パパは今まで、自分(息子たち)のことを最優先にして、自分にお金を使ったり、自分の楽しみなことをしたりしてこなかった。
だから、これからはもっと自分の好きなことにお金や時間を使って楽しく過ごしてほしい。」
実際に、このように言われて、とてもうれしかったです。
それと同時に、自分が「自分のことは差し置いてでも、なんでも大事な人のことを優先する、周りの人のことを大事にする人だったと思われたい」と考えていることを認識できました。
すごく良い体験でした。
これまで、自分の人生の目標のようなものを真剣に考えたことはありませんでした。
でも、たまたま息子に言われたことで、自分の人生の最終目標が何なのか?ということを考えることができました。
そして、それが「自分のことは差し置いてでも、なんでも大事な人のことを優先する、周りの人のことを大事にする人だったと思われたい」ということだと認識することができました。
そして、息子がこのように言ってくれているということは、これまでの自分は正しい方向に進んできたんだと思えました。
そうすると、なんか自分の中に満足感のようなものが漂い、ある意味「このまま死んでもいいかな?」とまで思えるようになりました。
とても不思議な感覚です。
そして、今までたまたま、自分は正しい方向に歩んで来たのだから、この道を踏み外さずに真っ直ぐ進んでいこうと思っています。
まとめ
今日は「よりよい人生を生きるためには、どんな自分になりたいかを真剣に考えてみる」ということについて書いてきました。
僕はたまたま、これまで自分が最終目的地と考えている方向に正しく進んできたことが分かりました。
僕と同様に、皆さんも早く自分の最終目的地を決めて、その方向に進んで行ってもらえればいいと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
こうぷー
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